国東の輝き |
前回のネップバザールの時は子どもたちが都甲八幡で相撲大会
きのうはユスハラ八幡で御神輿かつぎ。
どんどん国東にはじめて来たときの輝きに繋がって来ています。
そして…幾つかのメッセージを繋いで来ました。
双子の龍。これは平尾台の青龍窟、そして5月にリトリートで宿泊登山した両子山。
国東の真ん中。権威の象徴。
一方…
古代史的にはほとんど見向きもされない文殊山、国東ペトログラフ。
そして千年王朝、金の王朝。
唯一、役行者が開山し、結界を張っている山。なにゆえか。兎が守られている。
山頂には風神の祠があるという。
今回、原先生が来て下さる大きな天の本意。
自分たちの力でやれるだけやって来ました。
先日、大きなオリオンの中に吸い込まれるように国東に戻り、藤原さんのスピリチュアルな制約の解除を終え、今朝方、物理次元でルーリードの訃報。
ネテル…
いつか退行催眠で藤原さんのハイヤーセルフであり、過去生の徹底的なトラウマを持つ人物…
幾つかのブログを思い出しました。
また文殊山。モンジュリー。満州はモンジュリーから来ている。満州といえば金。そしてモンゴル、契丹と関わっている場所、渤海、リャオトン。
鹿島昇の古代史話にたくさん登場する場所です。
Yちゃんのメッセージからまた思い出されて。九州の神々、くかみ。前回、グループワークの時に伝えました。
夕方、N子ちゃんちに行ったらN子ちゃんが重藤に行きたいと。
以下は今年の1月18日。移住ひと月前のブログです。
ネテルとくかみのことが詳しく書かれていて。K西さんやYくんの事も思い出されて。
2013.1.18『国東 オッフルは東表国 エルダーソロモンの霊統』より
国東半島に行くのは…田舎暮らしもしたいし、主人の祖父の故郷でもあるのだけど、実はもっと大きな星の願いに繫がっていること、わかってた。
そのために昨年、魂はすべてを見せたんだ…
もう何度も書いていますが…
契丹古伝によると、オッフル(旧プント)人、九州北部に到達、東表国(豊国)を建国。東表国のあった国東半島には、前七世紀に東洋最大という製鉄遺跡があり、「鉄は赤土から採る」というソロモン王(半ヒッタイト)のタルシシ船団(フェニキア)と同じ技法が使われている。その重藤海岸遺跡にたどり着いたのが昨年12月。オッフル(旧プント人)…中南米の古代マヤの宗教の本に出て来るククルカンは「翼のある蛇」で、また「偉大なるアステカの神」と崇められている。この本には「ユカタンに最初に住み着いたのは蛇の人々で彼らは船に乗り海を越えて来た」とある。「翼のある蛇」とは「オッフル」の訳語で、オッフルとは聖書の中のオフィルのことで、プント・ソマリアのことである。北九州国東半島に古代あったとされる東表という地名は、古代オッフルの東の果ての植民都市と言う意味を有しているという。
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下記は、http://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/diary/200707220000/より
約3500年前、北九州の豊国へやってきたエブス(恵比須・夷)ヒッタイト・フェニキア人などの東表国の天の王朝・・・南倭・・・金官加羅の歴史は、日本史から抹消されてしまいましたが彼らのバビロンでのことに遡ってみたいと思います。
バビロン史は、最古の海人としてディルムン(現在のバハレーン島)、マガン(オマーン)メルッハ(ロータル)の交易地をあげていて、聖書は、タルシシ船の 目的地としてマガン、ブントオッフルをあげていますが、プントは、後にオッフルといわれ、ソマリアにあり、後に、ソマリアを支配したイエメンのサバ国を指 したらしい。
サバ国の女王(シバの女王)は、ソロモン王との間に王子メネリケを生みました。
ソロモン王の母親は、ヒッタイトでしたから、タルシシ船にヒッタイトの製鉄技術者たちを乗せ、インド大陸やマレー半島に派遣しました。
技術者たちは、ガンジス中流やメコン上流に入植して製鉄所をつくり、製鉄品を原地人の黄金・象牙・香料・真珠などと交換しました。これを「ソロモンの智慧」といいます。
引用以上//
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北九州東部を豊日別というのは東表国のことをいいます。
後に、この国は朝鮮史の駕洛国または金官国になりました。
王姓は金氏、または中臣氏であり、新羅の金姓王朝または蘇我氏は、この分派です。
昨日、一昨日…イシスmeさん、ひとみちゃんやOさんのセッション。
彼女らは吉田龍神海岸のグリッドマスターたち。
シリウス、ラー神のハイヤーセルフの存在たち。彼女たちの魂がさらに扉を開けてくれた。
国東半島と一直線で繫がる。10号線から、213号線へと。
姫島…女神の島へと。(シリウスの蛇型)
また…先週のセッション、今年に入って、新しく出会い始めている魂のご縁ある方々とのセッションを通じて。
やはり…1月3日の奈良の仲間のN子ちゃんファミリーと行った祖母山穴森神社ミッションは大きかった。
緒方さん、K西さんとのセッション…そして20日の津久見イルカミッションへと遡る。
すべて…絶妙なる魂の采配。
来週の八幡神の封印解除ワークは…とても大事なミッションとなるでしょう。
これは、大きな霊的統合となる…今だからこそ…出来得ること。
八幡神(はちまん)の本来のエネルギー回帰。
昨年、ほぼ1年をかけて、京都奈良、福岡、そしてまだ出会っていなかった、仲間たちとやりとげたこと…
次元上昇後、そしてさらに拡大して繫がり合う…願いと使命がより合致して…ユニティを生きはじめる。
星のミッションはより明るく輝きを増して…
昨年、鹿島昇氏や松重揚江氏の著書を実証したくて、九州中を繋いで旅し、書き綴ったブログ…
藤原の本流は豊前、東表国の中臣氏であること。
なみちゃんがいつか藤原さんの退行催眠をしてくれた。そこで過去のビジョンを思い出していた最中、私の中で、ネテル、ネフェルトゥム…という響きが浮かんだこと。
ロータスという名前を…彼自身が思い出したこと。(青い蓮の花)…etc
その他もいろいろと思い出されます。
今年に入って、マヤやアステカなどの古代中南米世界からのメッセージが
続いています。私も大学では古代中南米史を専攻しています。またさらに…すべてが繫がってきました。
以下は同じように、綴っておられる方のブログからの引用。
ハートに響きました。
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プント人の謎 http://majinnnn.jugem.jp/より
古代エジプトには、世界最古の神と言われる月神トトの信仰があった。
古代エジプトの月神トトは、
「パント(プント)と言われるエジプトの南にある乳香と蜜の採れる楽園
(古代プントは今のソマリアで、エジプトより南にあって、旧約聖書にもブト(プント)またはオフィル(オッフル)として、乳香と蜜の採れる楽園とある)
から来たエリート集団の長」
と言う。
また、古代エジプト人に、天文学の原理などを教えた神をトトと言い、この神はエジプトの最初の神々の中でもエリートグループの中の長に属し、このエリートグルーブの九体の神々を「ネテルたち」と言った。
このトトやネテルたちエリートグループの人達は、パント(プント)から来ると言われた。
つまり、トト及びネテルたちエリートグループの故郷は、プント(オッフル)だったのである。
一説に大洪水・大異変の後のエジプト南部
(地図で見るとエジプト南部はソマリア---古代プント・オッフル----に当たる)
の人々は比較的生き残ったとされる。
以下、同じくハンコック氏の著書から引用させて頂くと、
アステカ人は第一の太陽の時代の人達が大洪水で滅ぼされて、人々は魚になったという伝承を持っているとし、これはノアの方舟の大洪水後のシュメール地方に、半人半魚のオアンネスというものが現れて、人々に文明を伝えたという話に似ている。
また、アステカ人の伝承は、第一の太陽の後の生き残った人間は再び数を増して第二の太陽の時代を迎える。そして第一の太陽の時代の生き残った人々は、各々の国で、神と崇められたという。
エジプトのトト神。
シュメールに文明を伝えたとされるオアンネス、もしくはティルムン人。
インダス文明を築いたナーガ族を含むドラビダ語族のウバイド人。
紅海の海人とされるプント人。
また後述の日本古代史に出て来る
アメノミナカヌシと、タカミムスビ、カミムスビ、イザナギ、イザナミ、アマテラス、ツキヨミ、アメノトコタチ、スサノオ 等の
「トホカミエヒタメ」の九神
(九鬼文書には アメノミナカヌシと、アマテラス、ツキヨミ、スサノオ、オオクニヌシ、イワサク(磐裂)、ネサク(根裂)、トヨウケヒメ、ハニヤマヒメ(埴山姫)を「トホカミエヒタメ」の九神とする)
等は、私見だが、すべてこの第一の太陽の生き残り組の人達で、後世、神と崇められたのではないか。
現在、世界各地に残る巨人伝説も此の生き残り組ではないか。
ひょっとしたらヤコブと闘った神。シナイ山でモーゼと契約した神もそうではなかったか。
古代世界各地の伝承は共通のところがあり、エジプトで月神トトを シュメールでは月神シンと呼んで、これは世界の神々の中で最も古い神として崇拝されている。
ちなみに中臣氏も月神(ツキヨミ)の子孫だったという言い伝えが九鬼文書にある。なお、旧事紀には月神を月読命としている。
エジプト学者ウォーリス氏は、
「エジプト人とシュメール人の両方の月神は余りにも似ていて、とても別々に発生したとか偶然の一致とかは思えない。
この神学体系は遥か上古の或る一つの源泉から来た」
としている。
また別の学者も
「既に発達した高度の文明を持つ第三者が
エジプトと よく似た建築技術・建築様式を持つシュメール文明のメソポタミアとに
それぞれ別個に文明を伝えたのではないか」としている。
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プント人の謎
先年、地中海でフェニキアの船が発見された。
その船に使われていた釘は全く錆びておらず
-----フェニキアの鉄はヒッタイト直伝の極めて優秀なものである。
たとえば、フェニキアの植民都市のインドのコーサラ国が、のちにインドのマガダ国に合併された後、マガダ国に建立された鉄柱は、現代でも錆びていないとされている-----、
このフェニキア船の釘は世界の遺産なのに、アメリカは極秘に持ち帰り、成分を分析して宇宙船に使用するという。
これらの事実は、私には皆、白人優位の、白人権威主義の焦りのように感じられる。
紀元前二〇〇〇年まで遡ることの出来るオルメクの文化は、アステカ帝国の前に存在した。
この地の東方のサンティアゴの公園に 巨大な三米の石の彫刻がある。
これはヘルメットを被ったアフリカ人の頭の彫刻で
(スフィンクスの顔もコンピューターの解析によるとアフリカ人の顔と判明している)、
このオルメクの巨大な石像は年老いた人物で、広い鼻と厚い唇を持ち、頑固な歯が覗き、表情は太古の変動を耐えた辛抱強い知恵を窺わせ、目は遠くを見ているという。
そんな古代にいたアフリカ人の顔というと、まずプント人が浮かぶ。
プント人とは乳香と蜂蜜の楽園を持つ航海民族だった。
また、古代エジプトのトトを一番の長とするエリートグループ・ネテルの故郷の人達だ。
このアフリカ人の顔の彫刻には、ハンコック氏もさすがに驚いた。
アフリカ人は新大陸発見後の奴隷貿易で、はじめてアメリカ大陸にやって来たと思っている白人にとっては、沽券にかかわる問題だ。
私でさえ、先祖がプント人と聞いたとき、南アフリカの酋長の娘と思ったくらいだから無理もないけど、どっこい先史文明時代の生き残りらしい。
オルメクにある、このアフリカ人の顔を持つ人達が来たのは、今から一万二千年前くらいだという。また、このオルメク人も鹿島曻氏に言わせると、どうしたことか中臣族の先祖だという。
どこからそんな説が飛び出すのか判らないけれど。
ハンコック氏によると、マヤ文化よりずっと古いオルメク文化は、当時既にオルメク人独自の高い水準の文明と技術を持っていた。
彼らは点と線のカレンダーシステムを発明している。
このカレンダーの遺跡の傍らにも、巨大な重さ十トンの石の頭の像が五個あり、これも明らかにアフリカ人で 頭にヘルメットを被り、長紐が顎までかかり 耳飾りが付いていて、唇が厚く、顔全体が前方に飛び出ていて
(これこそ間違いなくネアンデルタール人とクロマニヨン人の混血生き残り人)、
目はアーモンド型、太い眉毛で怒った顔をしているという。
また巨大な割には細工が丁寧で均整がとれている。ここから子供の玩具の小さな車の付いた犬が出土。
スペインに征服される前の中央アメリカの文明には車輪はないとされていたが、征服されたマヤよりも古いオルメクに、既に車輪の原理のある文明があった。
引用以上//