間島(まじま) |
北九州市小倉南区曽根 間島(まじま)
干潮になれば、歩いて渡れる島です。以前人が住んでいたことも在りましたが、今は、無人島です。
中曽根の住民の共有地になっています。この間島には、明神様が祀られています。
曽根の海岸から見ると、前方後円墳の形に見えます。
この島には、古墳〔小円墳〕が6基確認されています。6世紀後半代に造られたものと、思われています。。
島や岬にはよく、墳墓、石棺などが、発見されます。渡来人の祖先故でしょうか。
島というより岩礁、一番高い所に少し草が生えています。
満潮になると、ほとんど海水に沈んでしまいます。大潮の時は歩いて渡れるのですが、すぐ満ちてくるので、帰れなくなってしまいます。
亡くなった人もいます。船で渡れば、安全です。
昔は貝や蛸、ゴカイ類が沢山いました。
曽根の間島の沖に、〔かぶと島〕羽島と呼ばれる、小さな島が有ります。
島の形が、兜の形をしていたからだと、思います。
昔々は笠縫島と呼ばれていました。
今では、兜の形には見えませんが、私が子供の頃までは、武将の兜が、
海に浮かんでいる様に見えました。。
戦国武将 毛利氏も、松山城の攻防の時、舟の上からこの島を
眺めたかもしれません
万葉のしはつ山とは今の貫山のことです。地域マップへもどる
しはつ山打越来れは笠縫の島こきかへす柵なし小船
此処の古墳群は、朽網の天観寺山窯跡群、狸山遺跡、下吉田古墳群とつながる、同一部族と考えられています。