光のレターその525(ヒスイ) |
9月15日~17日に、新潟に行きます。
行先に選んだのが、糸魚川で、調べたら。
http://trakl.exblog.jp/20216780/
「フェニキア船団員は、新潟の糸魚川・静岡構造線(断層線)に沿って、金銀銅鉄などの鉱脈を探していた。川筋の鉱物を見てあたりをつけ、鉱物を探していたので水窪石はその願掛け?
水窪〜天竜川を遡ると諏訪湖に着きますが、粉鉄(砂鉄)の産地でもあって、タタラ製鉄民ヒッタイト人とフェニキア人は、お宝を探して諏訪に住み着いた。っていうか再び帰ってきた。諏訪は、出雲の重要拠点。縄文製鉄遺跡は、ソロモン御一同様、タルシシ船団の仕業。」
この文章の元と思われるのがhttp://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/diary/200901010000/
さらに、書き加えたのがhttp://ameblo.jp/rekishi33/entry-10266895923.htmlかな。
同じ文章があちこち、あります。
糸魚川静岡構造線とは
「親不知(新潟県糸魚川市)から諏訪湖を通って、安倍川(静岡市駿河区)に至る大断層線である」
諏訪湖も通って、静岡までつながってますよ!すごい。山梨も入ってる。
http://trakl.exblog.jp/18559753/
翡翠を検索したら、自分の書いたメールをみつけ、宿題になっていた部分を調べました。
「平維茂」の墓所が、新潟の実家に近いという記述をみつけ、調べてみたら、
「恵心院の源信僧都(げんしん そうず)に帰依し極楽往生を願い臨終間際に極楽迎接曼荼羅を授かったとし・・」
という記述をみつけ、Yちゃんが、「恵心」って言ってましたよね。びっくり。
また、阿賀野に墓所があるとメールで書いていましたが、
「新潟県東蒲原郡阿賀町三川(旧三川村)には平維茂が建立したと云われる平等寺がある。平維茂が阿賀野川を船で下っていると金色に光る小さな薬師如来像を見つけ建立した。境内脇には将軍杉があり傍らには会津藩初代藩主の保科正之によって建立された「鎮守府将軍平維茂碑並銘」がある。」
ということで、墓所は、
「長野県上田市別所には将軍塚と呼ばれる平維茂の墓がある。地誌の『信府統記』(1724年享保9年)では平維茂が鬼女紅葉との戦いで17ヶ所の傷を負いこの地で果てたとされるが、将軍塚の案内板には古墳時代後期の円墳と記されている」
なにかと、出てくる長野県・・。
さらに、読んでみたら、「紅葉伝説」は、旧鬼無里村(現長野市)と、もう一つ長野県戸隠村にあるとのこと、
戸隠・・みこさんが、行ってみてと言われた場所です。
去年調べたときは、気にしなかった言葉が、今年は気になる言葉ばかり。不思議です。
維茂ゆかりの将軍杉と墓碑
http://kajiakira.iza.ne.jp/blog/entry/842312/
実家から、一時間ほどの場所のようです、行ってみようかな。
維茂の夫人(御前ヶ遊窟・ごぜんがゆう)が川に身を投げた伝説がある
阿賀野川ライン下りをすると、これらの場所が、一度に見られるようです。