光のレターその518(篠栗、馬の首) |
連日の磁場調整、ありがとうございます。
昨日も、シュタイナーの講座に参加していました。
日本の四季はどうしてできるのか。世界地図を見ながらの授業。
スペインから始まり、エジプト、ゴビ砂漠、中国など日本と同じ緯度の場所はほとんど砂漠、なぜ日本は、砂漠であってもおかしくないのに、これだけ緑豊かなのか。
日本は、とても恵まれた環境だということを実感した内容でした。
その後、インカ展に行きましたが、駐車場に入るまで長蛇の列。
展示も、近寄れないので、織物と、ミイラだけじっくりと見てきました。
織物は、王様に送られたり、戦利品となり重要なものだとわかりました。
ミイラは、表情こそ悲しげでしたが、胸にわっと押し寄せるものがなかったので、
とても大切にされてきたのではと、感じました。
去年見たエジプト展の死の書では、かなりくるものがありました、あれは術的なものだったのでしょうか。
帰りは、恒見に子どもを迎えに行く高速道路で、吉志のSAを通り、思い出しました。
そこには、吉志城(寒竹城)があった場所、戦いの場です。
Yちゃんが気分が悪くなったのはこのせいでしょうか。
涅槃像、南蔵院は、十数年前叔母が宇美に住んでいて、ここに連れて行ってくれたことがあります。
足の裏の模様が印象的でした。
馬の首が埋められている伝説が気になって、調べてみました。
なかなか、場所の特定はできませんでしたが、
馬を埋める風習について、
http://blogs.yahoo.co.jp/nihonzairaiba08/7433736.htmlより抜粋引用
1500年位前の馬の祭り場が発見され、7頭以上の馬が見つかり、そのうち1頭は板の上に横に寝かされていた。
首の部分で切り取られた頭の骨もあった。この馬は<生け贄>として神にささげられ、願いごとがすんだ後、土の中に埋納された。
引用終わり
生贄を調べると
、『日本書紀』皇極天皇元年(642年)に牛馬を生贄にしたと言う記録があり[1]、6世紀末 - 7世紀頃の遺跡からは考古学的資料として牛の頭骨が出土する事がある(道教呪術儀礼の影響による)。これは雨乞い儀式の一環であり、農耕にとって重要かつ貴重な労働力(存在)たる牛馬を殺し、それを神に奉げる事によって雨を降らそうとしたものである(河伯信仰ともかかわってくる)。