日出へのショートトリップと… |
移住後間もない、私たちに励ましの言葉をかけて下さる方々、ハーブや化粧品を喜んで購入して下さったり、クラスや茶話会に来て下さったり…いろいろな方々の温かさを身にしみて感じています。
移住後の今はすべてにおいて、整いません。しかし、これもすべて大切なレッスン。このなかで必要性を満たし合いながら、ハートの熱を精一杯表現していきたいと思います。
manaさんが野草たっぷりのおにぎり(よもぎなど)とおかずを作って持ってきてくれました。美味しかった!滋養と愛情たっぷり。
さて…どこから綴りましょう。
そうそう、一昨日、訪れた日出藤原エリア、豊岡は日出にシフトしていくmanaさんの新しい本拠地周辺になるようで、お互いに驚きました。訪れた神社周辺になるようです。これも必然の一致。呼ばれていた理由がわかりました。今はこのような事ばかり、毎日起きています。
manaさんと話していると、namaさんやマリオさんほか移住者がまるで遠い時代のファミリーのように、深いご縁で結ばれていることがわかります。主人の祖先がこの土地に深く根を下ろしていたことが予想されます。初めて、都甲へ来たときに、都甲八幡(百種)周辺で無性に懐かしい思いがしたのも当然です。ここでは書き尽くせないほど…なるほどと合致します。
また移住者の方々とスピリチュアルなシェアも始まってゆくでしょう、そのハート連結のうえに色々な活動が繫がっていくことと思います。
国東は陰も強く、陽も強い。まさにシャーマニックな霊地と思い知ります。manaさん曰く、お盆の時なんか、凄いそうです(笑)わかる気がします。霊と人々とがあたり前に親しい。本来の日本の霊性、そのままの姿があるように思えますが、当然、古い風習も、慣習も色濃いかと。今、新旧の融合…がいろいろな場所でなされています。元々、融合の地であります。
お寺の若住職の方々、移住者の感性、土地の方々の知恵…いろいろな試みが行われている事に感心します。
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一昨日の日出へのショートトリップから、書きます。
夕方近くに日出へ着きました。藤原…という地名で主人の大叔父の19歳の長男が行き倒れていた、それがメッセージと感じ…(前回のブログで書きました)まずは、直感で八津島神社へと。
昨日早速、豊後高田の図書館にて、調べたところ…
○津島というは、古来、現在の日出町大字豊岡の全域に対する村名であったが、延徳2年(1490)に大友氏によって「辻間」と改名されたそうです。
○天平年中、宇佐朝臣津島高春という者がこの地を開発し、私領とし、一部を宇佐八幡に寄進したという。
○天平12年太宰少弐藤原広次が当地の津島高春に援を求めて断られた、その後、怨念飛来し、高春の子孫は怨霊を慰めるために小祠を作った。鏡宮がこれであり、氷室大神という。はじめ、津島宮の下にありましたが、明治17年ごろに八津島宮の境内に移され、古来疱瘡の神として崇拝されてきた。
○津島高春の娘、時子が奈良の藤原氏に入るため日出の浮津浜より船出する時に詠んだ歌がある。
多岐津守津志摩の浦に狭霧たち い行く千鳥の下泣きに鳴く(宇佐時子)
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上記の資料により、奈良の藤原氏との姻戚関係が結ばれていることがわかる。
八津島神社は地元では有名な由緒正しい神社として知られますが、夕方近くだったからか、何となくひっそりと暗い感じがしました。周辺も少し歩きました。神社の拝殿の奥から沢の音がしていました。
周辺は国東などに比べるとかなり住宅の密集地。山側の方に聖地の気配を感じます。
神社近くに魚見桜と言う場所があり、有名な桜の名所だそうですが、今はすでに桜の樹は枯れていました。近所の子どもたちが元気に遊んでいました。別府湾が桜越しに見えて…風情があり、いいところです。
運ばれるように、亀峯神社という場所に行き着きました。
道幅が狭い場所があり、途中、ちょっとヒヤヒヤしましたが、ためらいなく行きました。何かが感応する、きっと意味深い神社に違いない、そう感じました。家に戻り、調べたところ、神社が古墳だとわかりました。全景を見て驚きました。
見てみましょう。
アメホアカリ…他を祀る神社です。
http://nabaanooyado.blog.fc2.com/blog-entry-109.html 鬼と仏の国東半島めぐりさんより引用
日出町豊岡のある亀峰山古墳は直径172mの古墳です。埴輪円筒片が発見され古墳とわかったそうです。『日出町誌資料編』より
古墳の写真の緑に覆われた所に亀峯社があります。
国常立命・伊奘冊命・火明命・伊奘諾命・級津彦命・級長戸辺命・大山積社。長徳元年二月九日勧請。祭日十月十一日
長徳元年は995年のことです。
この古墳の上に建てられた社に火明命のご神名をみます。
引用以上//
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日出には昔からよく訪れていたことを思い出しました。
真那井という場所にも有名な神社があります。
大神ファームにも数年前にはよく行っていました。
藤原という地名、赤松という地名、妙見神社もあり…
きっとまた何度も訪れることになるでしょう。ここを通って別府、大分市内に行きます。今年の1月に大分市内から国東に入る時も日出、杵築を通ってゲートをくぐりました。
夕暮れて…さあ、藤原の方へ戻りながら帰ろうとしていたら、思いがけず、殉教の丘公園…の標識が目に飛び込んできました。もしかして…とハートの衝動にかられ、どんどん道を進んでいきました。何もない公園。殉教の丘って誰の?と公園の奥の方に行くと、やはり…
小倉のキリシタンファミリーのひとりである加賀山半左衛門とその5歳になる息子が殉教した場所でした。ここへは本を読んでいつか来たいと思っていましたが、今日、実現するとは。昨年、強くメッセージが入り続けてきた存在、ガラシャ夫人に繫がる人々。加賀山隼人(現リバーウオーク邸宅跡•小笠原みやマリアはその娘。マリアの夫の父はガラシャ夫人の最後を見守った人)と、加賀山半左衛門とはいとこ同士となります。昨年10月終わりのブログに詳しく綴っています。
胸の中にこみ上げるものがあり…自分でも不思議なくらいに。夕暮れてなお、感じる気配があり…主人と祈りと瞑想の光で紫色に包み込みました。…子どもたちも何かを感じていたようです。私の中にあった悲しみがまたひとつ溶け昇華したように思えました。
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主人はそれでも、まだ1カ所探しているようでした。地名だとこのあたりなんだけどな。
ここも、引用した本、大分の神々に書かれていた…
日出町藤原•和泉の水神社。無名ながらユニークな存在。
大分から日出の町を過ぎて藤原に入った最初のバス停が和泉。そこから三百米ほど入った山裾にわき水をたたえた小池があり、その中の島に瓦葺きの杜があり、御神体は泉そのものである。
このあたりは高速道路が通っているため、おそらく原風景からかなり遠ざかってしまったのではないかな…と思える雰囲気。鹿鳴峠という地名も、藤原的。そして…ありました。水神社です。
どんぴしゃでありました。天満宮でした。小さなお宮ですが、奥の山が霊域でしょう。
精霊が感じられる神社。光の中で感じたいと思いました。もうすっかり日暮れて。さあ、今日はここまで。ほとんど目的の場所には到達できたことが、素晴らしいです。思わぬ出会いもあり。来てよかった…
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で…翌日は日出に新しいお家を構えられたmanaさんと、マヤちゃんとお会いしました。
その後、マヤちゃんは我が家に残り、いっしょに子どもたちと遊びました。いっしょに豊後高田図書館へも行きました。
あっと言う間に楽しい時間は過ぎ、マヤちゃんを送り田染庄へ。やっぱりここは柔らかで美しいよね〜とためいきをつきながら。桃のお花があたりをぼわ〜っとピンクに染めていました。かなり日が長くなりましたね。
manaさん親子にさようならをいい、家路につきました。
途中、たぬきも、いのししも、鹿も見ましたよ(笑)