12日の光、何度も力強く受け取る。 |
ああ、一区切りついた…そんな感じです。
そして12日から13日にかけて、素晴らしいことが夫婦そろっておきました。
まるで身体中が宇宙のオルゴールみたい…
何と表現してよいのかわかりませんでしたが、内側ではっきりとわかりました。
同じ体験を夫婦揃って出来たこと…喜びをシェアしました。
また今日は朝から、活力がみなぎり、エネルギーが自分自身に向かいました。
マッサージをし、瞑想をし、午前中はお店を整えて、午後からはいろいろな方々がお見えになりました。
昨日、今日と今年のクラスを締めくくるように、幼児のリンゴローソクが行われました。
元気いっぱいの可愛い声が響いていました。第2グループの会が昨日も、行われ、終了後、小学校からもどったいおりがひとりリンゴローソクを味わっていました。先生からリンゴをいただいて大喜び。
ミモザがぽそり…今年はしなかった。残念。皆としたかったのに…それを聞いて、よしよし…と慰めました。子どもの心の中に、大切に刻まれていることをあらためて感じました。
以下はミモザたちのクラスの作品。冬の刺繍です。すごく愉しかったんだよ…と目を輝かせて教えてくれました。
八尋先生と今年の締めくくり、そして日々の感謝と来年のお互いのビジョンを率直に伝えあいました。
みこさんたちがやってくれたから、こんな風に出来たんだよ…と温かい言葉をかけていただき、積み重ねてきた信頼関係が宝物のように思えました。先生と子どもたち、そして私たち、お母さんたちとの…相互連結。あらためて熱い感謝の思いが湧き上がりました。
形はいかなるように変化しても、この大切な灯火はしっかりとハートの中で受け継がれ、創造されていくものと信じています。自分の思いをはるかに超えて、大きなものに守られ、育まれてきた…この年月を愛おしく、輝かしく感じています。
年内の子どものクラスはローレルの第4週目*能美先生 がまだ残っています。
クラスの中で教えて頂いていること、交流…本当にかけがえのない時間です。
またじっくりお知らせ出来たらと思っています。
夕方、S宮さん、亀ちゃんがまた揃い、今回の亀ちゃんの尾道、瀬戸内海への帰郷をいっしょに分かち合いました。辿った場所から、エネルギーが押し寄せてきて、何だか部屋の中が異次元になっていました。全員で眠くなってしまいました。鞆の浦、仙酔島、医王寺のお話を聞いている時に引き込まれそうになりました。笑顔キラキラ。大きな光を受け取ったようです。(光のメッセージレターに載せています。)
3人でしっかりとハート連結。12日を超えて、最新の光を受け取りました。大きく動いていく流れです。
しがみつかないで…とメッセージが入り続けています…
そう、本当に始まってゆくのは、今から。今にフォーカスして、自分を信じ、地球のハートに繫がって、来た波に飛び乗ればいい。
今日はサロンにも大切なメッセンジャーの方々が来られました。
長年、*高校生の時から来てくれている男性のYくん。
17日に滋賀県、愛荘町(琵琶湖の方)へお引っ越しされます。
新しい人生が待っています。
おうちに祠があり、おじいさんが事代主の神を御祭りしているそうです。
その地域、依智秦氏…えちはたしに縁があるとの事。
藤原さん、寝がけにipadに最新のgoogle mapをダウンロード、調べてもない愛荘町立歴史文化博物館の文字が勝手に…と謎の事を叫んでいました(笑)あ•いと読みが続くからでしょうか?
とにかく本日2度目のメッセージ。何かが訴えてきていることは確か。受け取ってみます。
下記は、http://www.bell.jp/pancho/travel/oumi/history.htmより
近江と朝鮮半島との かかわりは深い。特に、天智朝の頃には多くの渡来人の入植があったことが知られている。7世紀の後半、朝鮮半島は未曾有の戦乱に見舞われた。国力を充実さ せた新羅(しらぎ)は超大国の唐と連合して、660年に百済(くだら)を滅ぼし、続いて668年に高句麗を滅亡に追いやった。滅亡した百済と高句麗の遺民 の多くの人々が渡来し、近江をはじめとして各地に配置された。
天智天皇は都を大津に定めたため、多くの渡来人が琵琶湖周辺に配置され た。例えば、天智4年(665)2月には、百済の遺民400余人を、近江国の神崎郡に住まわせている。天智8年(669)には、左平・余自信(よじし ん)、左平・鬼室集斯(きしつしゅうし)ら百済の男女700余人を近江国蒲生郡に移住させている。こうした百済遺民の中には、近江朝廷で活躍した人物も多 い。
しかし、歴史学者によれば、彼らの渡来は第4の波であるという。天智朝以 前にも3つの大きな渡来の波があったとされる。第一の波は、紀元前200年頃から紀元3世紀頃とされ、この時期、かなりの人々が我が国へ移住してきて、稲 作技術や鉄器文明をもたらした。考古学上における弥生時代の遺物や遺跡は、3世紀頃でも、朝鮮や中国との交渉が盛んに行われ、人々の往来がかなり煩雑だっ たことを示している。
第二の波は、高句麗の広開土王が南下して領土を拡大した5世紀前後に起き ている。高句麗の圧迫をうけた百済や加耶諸国の要請に応えて、我が国は4世紀末から5世紀の初めにかけて軍隊を派遣し、金官国を拠点に、東は新羅領内、西 は旧帯方郡(ソウル付近)まで進軍して、高句麗と戦った。この時期、半島からは戦乱を避けたり、軍事援助の見返りとして、従来以上に多くの人と物が列島に 持たされたとされている。
第三の渡来の波は、5世紀後半〜6世紀はじめ、すなわち雄略朝から欽明朝 へかけてのこの時期にいっそう高まりを見せる。特に雄略朝のころには、”今来の才伎”(いまきのてひと)と呼ばれる新技術をもった人々が朝鮮南部から多数 我が国土へ移住してきた。この時期は古い渡来者に代わって新しい渡来者が各分野に進出してきた時代である。この渡来の波の契機は、475年に高句麗が百済 の都の漢城を陥落させた前後の戦乱にある。百済は南の熊津に都を遷して、かろうじて国を再興しているが、戦乱を避けて集団で列島に来住する者たちが多かっ た。
史書には、以下の渡来系氏族が近江に居住していたことを記している。
以前として奈良時代の流れのようであります…
また夕方は先日、お母様を光の国へと見送られたMさん*主人の同級生が過呼吸気味ということで、急遽ご来店されました。
ついでにカットもされたのですが、この時期、魂が大切な交流を必要としています。主人もしっかりと今の流れをふまえ、自分自身のハイヤーセルフがいつもいっしょにあることを意識する…深く繫がることの大事さを伝えたようです。
数々の煌めくようなエピソードも伺っています。
夜は子どもたちとしっかりコミュニケーション。このところ、めきめき面白くなっているわが子たち。ほんと、クリスタルだよな…と感じます。柔らかく、今を楽しんでいるばかりです。すべてを受け入れる度量にいつも教わります。
最近はipadでいろいろな作品を作っています(笑)
もうすぐ冬休み。12歳のお誕生日直前のミモザ。週末は愉しい行事が控えているので、ワクワクしている様子です。(画像/猪群山、飯牟禮神社)
夜は、久しぶりに布団に12時までに入りました(笑)
主人になぜかマッサージをしてもらいました…本当は私がしてあげないといけません。
すると…深い眠りに引き込まれ…夢を見て、はっきりと地名が出てきて、…目がさめて、6時からこれを書いています。
N子ちゃん、クリスマスの雰囲気。なぜか、彼女が出る夢は、いつもの場所。明るい洋館。電気がたくさん。
津久見港。古い地図。
ここを通さないといけない…というような事をガイドに言われる。
実は昨日も地図を見せられ、日本ではない名前。でも重藤海岸のような。
今日ははっきり、つくみ。と教えられた。
起きて、地図を見た…やっぱり、ここだ。わかってる、次はここだと。
*12日は豊後大野ではなくて、国東の方をセレクトしました。
豊後大野には、穴森神社がある。遠いから、冬休みになって…と思ってました。もともと、大分のめぐちゃん…メッセンジャー派遣からはじまってるし。
津久見、鶴崎…。つくみとはっきり意識したのは、初めて。
たしかご主人の故郷でもあるし。先週はK西さん、お子さん、剣道の試合で佐伯に行かれてるんじゃないかな。
ということで、私たちはいつ、津久見へ行けばいいの?(笑)
ということで、さっきからカレンダーを見ながら、感じているところです。
もうこのところは、ますます流れ、早く。
ひとところに長く滞在させられない感じ。ノスタルジーにも浸れない。
深く短く浸ったら、はい、次へ。
次へお行きなさい…。と押し上げられている今。