三位一体の秘密 |
日本人のルーツ
http://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/201008080000/より
アナトリアには、原ヒッタイト族、カルトヴェリ族、ハヤシャ族などが
住んでいました。
ヒッタイト崩壊後、いくつかの少国家がヒッタイトの伝統を継ぎ、
重要都市のカルケミシュはハッティ国、オロンテスはハッテナ国となりました。
そこに、ヒッタイトのムシュ族やカスカイ族が入ってきたのです。
このようにウラルトゥは、当初からミタンニやヒッタイトのフルリ人、
カッシート人、チュルク人などからなる、いくつかの部族の連合体でありました。
カッシート人は月氏になり、インドに移ってクル国のなかにも混在しました。
従ってウラルトゥとクル国は同族であり従属した同盟者といえるでしょう。
フルリ語の粘土板文書がチグリス川の支流域のヌジ、ユーフラテス川沿い
のエマルシリア方面のアララクやウガリトから出土しています。
BC15世紀頃のもので、ヒッタイト王国の3代ムルシリ1世や
5代スッピルリウマ1世がフルリ人国家を服属させたという
記録があるそうです。
このフルリ人はナーガ族と同じ蛇信仰をもっていましたが、
ヒッタイト人に征服されウガリットでのフルリ人は天候神ダゴン
と収穫神バールを崇拝しています。
これはフルリ人の神が蛇神から征服者アーリア人の牛神に
変わったことを表します。
フルリ語は日本語と似ているとされていますが、
フルリ人はシュメール人と同族だったようで妻のことを【妹】と言っていて、
古代倭人も妻を呼ぶのに【吾妹わぎも】と言いましたので、同習俗、
同種族とされる理由です。フルリ人は【旧約聖書】でホリ人として登場します。
フルリ人の【ミタンニ王国】がヒッタイト人によって征服された後、
フルリ人の一部は北上しアルメニアのヴァン湖畔に【ウラルトゥ】を建国しますが、
ウル第三王朝~ミタンニ~ウラルトゥの流れが満州の扶余に至る北回りルートで、
【シルクロードの天皇家】となります。
もう一つの南回りのルートは、シュメール~インド~ベトナム~満州という
【穢族・サカ族】のルートです。
これが【安冕あめ】氏と【阿毎あま】氏の二系です。
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ウラルトゥは、BC1300年頃のアッシリア碑文に初見されますが、
【ウラルトゥ】とは【ヴルトラ(蛇)】の意で、【ナーガ族】の七頭の蛇との
関わりがみてとれます。
神社に張られるしめ縄は、男の蛇神と女の蛇神の交合を象った神の縄です。
古代メソポタミアでは、この両蛇神を【ニンギジダ】と呼んでいました。
しめ縄の原点であり、【史記】の伏犠・女カの神像は共に蛇身人首で、
両尾をしめ縄のようにからませています。
有名な志賀島出土の【漢委奴国王】の金印は蛇紐です。
【秀真伝ほつまつたえ】を作成した大物主家(公孫氏)の三輪氏(イッサカル族)は
大和三輪山の蛇神を祀る神官の家柄なので、蛇紐金印の委奴国王家および
蛇神信仰の新羅王家あるいは、亀神話のからんだ金官加羅の金首露王家と
同族的な関わりがありました。
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ピラミッドワークは真実の三角形の謎をとくことへつづく!