魂のリベンジ…守りたかったもの。 |
魂のリベンジ…
http://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/201008080000/より
白村江の敗戦で新羅・唐に倭国は植民地化され、九州倭国と近畿の秦王国は、合併され、【日本】という国号が初めて誕生したと考えます。これが奈良時代。
古代新羅人はフェニキア人と匈奴(フン族)の混血の倭人でもあったし、倭国改め日本国は【新羅・日本同盟国】というほどのものであったかもしれない。
陸から海から渡来してきた日本人のルーツは主に製鉄民族、金や鉄をめぐって激しい争奪戦にあけくれて草原ルートを駆け抜け、日本に渡来してきてからも中央構造線に沿って九州から四国、紀伊、伊勢、信濃、鹿島など水銀(丹生)や瑪瑙、翡翠、琥珀など数多くの鉱物資源を採掘していったようです。その周辺は地下で巨大なエネルギーだから、大和(秦王国・飛鳥王朝)の勢力は鉄と鉱物資源を掌握し、豪族の勢力争いが起きたのです。
水銀が手に入る【中央構造線】沿いの地域、三輪、葛城の地は、その代表地でした。
辰砂(水銀)の産地であったから三輪山は聖地とされ、【三輪、葛城の鉱山資源】を基盤にした市場こそが纏向・箸墓でした。
蘇我氏が仏教を導入すると、寺院で使用する金箔や朱に、この地の水銀が重用され、蘇我氏台頭の経済的バックボーンをなした。
そしてその時、最新技術を日本に持ち込んだのが秦氏でした。
奈良時代に、大仏の鋳造や金箔張りに銅や銀を扱ったことから、関係地域や人々に公害や奇病が発生したので、遷都が行われたと考えられます。
仏像に鍍金(メッキ)するのに、液体の金属である【水銀】に金箔を入れて、アマルガムを像の表面に塗りつけてから火であぶって水銀を蒸発させて、金を定着させました。水銀を蒸発させるときに、有毒ガスの発生が起こり、水銀による呼吸困難や皮膚障害が起こりました。
奈良の東大寺建立には水銀中毒が多発したことを疑わせる記録が、残されています。大仏は嫌われ、奈良と京都の境界線が川を避け、妙な所で区切られ大和は封印されました。京都へ移る時は、奈良の寺を移さず、僧侶も連れていかなかったそうです。
こうして支配していた新羅朝廷は弱体化し、動乱期をチャンスと捉えた、不比等は、旧東表国の中臣姓(鹿島神宮宮司の養父名)から改姓を思い立ち、唐・新羅占領軍の頂点に立つ藤原鎌足に取り入って養子になり、藤原姓を名乗り、古代ユダヤ・ガド族の姫君宮子と結婚して藤原氏一族となって日本貴族の主流となり、やがて南朝系天皇家となっていきます。
不比等・宮古は、四男四女をもうけ、南家、北家、式家、京家となり、近代までの貴族の系図をつくっていきます。
新羅王族・長屋王(高市皇子の子)の失脚・・・謀反の密告で自決。よって、不比等の娘を聖武天皇の皇后とし、この人が光明皇后。
聖武天皇は不比等・宮子の五男であり、光明皇后もまた不比等・宮子の次女であったから、聖武天皇の7歳上の姉であり、表向きの皇后であって実権は彼女が握り、実際の夫は、百済王敬服であることから百済リベンジとなり、在日新羅系の貴族勢力および、そのシンパは被差別民として一掃され、藤原政権の独立路線が打ち出されていったのでした。
(引用以上)
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彼の百済リベンジ…は、深いところからの魂のリベンジ。
真に守りたかったもの。
それを先日のブログに書いた。そして光にあげた…
三位一体の秘密へ続く!