11-22大切なタイムラインの統合完了2/2 |
富岡地蔵…より、小倉の藩主、高橋、細川、小笠原の流れを過今みました。また、企救郡にとって、長州戦争という戦いがいかに大きなものだったかも物語っています。
たくさんの事を見せられ、教えられました…
私たちのこの数日間が、戦いの激戦地であった、富野、赤坂、門司を辿り、繋ぎながら、なぜこの平尾台や行橋とリンクしながら進んできたのかが、しっかりつかめた気がします。
今に大きく影響するすべての戦い。この地に残る戦いのバイブレーション。
これで本当に大きく統合、終了する気がしています。
…11−22へ。大切なタイムラインの統合でした。
一行は、心地よい疲れを感じながら、平尾台を再び通って、小倉南区方面へと戻ります。
最後に、吹き上げ峠の平尾百仏へ。
吹上峠から大平山への登山路の脇に、石仏が祀られています。昭和30年代頃に、平尾台の各地にあった石仏を、ここに集めて祀っているとのこと。
その数から平尾百仏と呼ばれています。東谷大師…と書かれています。
11−11の少し前に、東谷を歩いて繋ぎました。
大平山の反対側、麓の集落は、まさに浄泉寺のあの聖地へと繫がっていますね。濃密な日々です。
いろいろな事を感じ受け止めながら、心を込めて、この霊場を繋ぎました。山を降りながら、麓の村、井手浦を思い出していました。
井手浦の尻振り祭りは、征伐された土蜘蛛一族のその後の消息を伝えているのではないか…とも言われています。
一刀両断された大蛇はまつろわなかった人々で、井手浦の里に飛んできた大蛇のしっぽがピンピンしたのは、一族は全滅を免れ、平尾台の麗しい平地に逃れ住んだ。
そしてその年が豊作だった、その後、農耕をなりわいにした…誇り高い人々の歴史。
この地域は幾度となくそうした人々を受け入れた土地なのではないでしょうか。
多次元にリンクする伝承。人間がまだ人間でない時代の出来事も全てを内包する記憶とともに。
Aさんが写真展から戻ってきた朝、玄関先に置いてくださっていた本に書かれていました。
一冊が平尾台の本。そしてもう一冊が門司にまつわる本でした。
そして…今日も仲間と軽やかに、大事な1日を分かち合いました。
ずっとアシストしてくださったすべての方々、ありがとうございます。
また御会いしましょう。
明日は世界瞑想の日のようですよ。
大きな光のサークルで、すっぽり地球を包みましょう。うまくいったと思います。さらに自分の願いへと加速していくでしょう。
どんどん、大事な思い出を解放しながら。いま、この光、受け取って。
この喜びを胸に。そして放ちましょう。母なる響きの星へと。