資料引用/門司藤松のペトログラフほか |
戸の上へ行ってきて、急に繫がってきました。…光…地名も仲間と気になっていたあたりです。土地勘がないので、地元の方はもっとピンと来るのでは。
Fさんの勤務地にもほど近いのではないでしょうか。
藤松は以前からペトログラフで知っていましたが。
(仲間と門司をまわり、彦島ペトログラグに繋いだときがありましたね)
門司はとても古い古代縄文遺跡や埋もれた洞窟が多いと本に書かれていました。
気になったので、ブログにあげておきます。
門司藤松のペトログラフほか http://moji.ktai.sh/dairi/shumeru-d.html
藤松道祖神(シュメール古拙文字)
[所在地]藤松3丁目
[最寄交通機関]門司大翔館高校バス停(47,48,49,94系統)
歩道を遮るようにして残っている庚申塚で、地元では木や塚を傷つけると禍が起きると伝えられている。 1988(平成元)年大里高校考古学クラブの生徒により2基の塚のうち「地神墓」と彫られた方に シュメール古拙文字が刻まれていることが発見された。 清正公堂付近や村中川流域でも同様のものが十数個発見されており、 古代シュメール人がこの地に渡来したものと想定されている。
[地図]
http://www.kitakyushu-museum.jp/resources/397
門司の藤松と言う町に流れる村中川の上流に『鬼の赤子岩』と言う1m四方の岩が斜面の中ほどにあります
その岩の表面には大小の人の足跡に似た窪みがあります
祖父から言い伝えによれば
場所は村中川をさかのぼって行くと清正公堂があり、そこをさらに80mほど
山道を進むと砂防ダムがあり、その手前の左斜面にあります
「昔々のこと、この谷にの奥に鬼の住窟があった。どおしたことか知らんが、
その内赤子をこの岩のほとりに捨てた。それが雨降りの真っ暗い晩になると、
寂しがってか、おんおん泣きだし、はては牛の泣くような声になり、下流にある
村まで響き渡るので雨模様の夕方などには、村人は早く戸を閉め、声をひそめたと言います
この物語が何を言わんたとしたかは不明です
恐らく途中で話を語り継ぐ人がいなくなったのか・・・
20年前に息子と検証しました。私は未確認ですが谷の奥に鍾乳洞があると聞きます
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清正公堂
1897年藤松在住の女性の夢枕に、加藤清正の霊が立ち、 肥後国から連れ帰って祀るようにというお告げがあり、有志数名が熊本に赴き、ご神体を見つけ、この地にお堂を建てて祀ったのが由来である。 村中川上流のこの周辺を地元では「おたき」と言い夏は子供の水遊びの場になっている。 場所:おおわざだいり。 だいしょうかん高校前バス停から、村中川添いに約20分以上。 ここから、戸ノ上山の登山道があります。 鳥居は、赤い色をしています。高さは、2メートルはないでしょう。1メートルくらいの幅の道になっています。