光のレターその210/(萩崎の綿津美神社ほか ) |
(小倉)競輪場近くの綿津美神社
由緒 創建等は不詳ですが、毎年1月16日に行われる「わいわい祭」は、有名です。この神社、元々は、現在の明和町5番市立三萩保育所が建っている場所にあり、八大龍王社と呼ばれていました。そして、明治43年、妙見神社に合祀されましたが、地元の人々は、萩崎町の中央の現在地に再建しました。
管理されている方の住まいが敷地内にありました。
もう一つは、角神社
祭神
主神 伊邪那岐神
(いざなぎ)
伊邪那美神
(いざなみ)
合祀神
高淤加美命
(たかおかみのみこと)
闇淤加美命
(くらおかみのみこと)
闇御津波命
(くらみづはのみこと)
馬幸神(ばこうしん)
由緒 貞観2年(860年)宇佐神宮より門司甲宗八幡神社へ、神宮皇后が使われた甲を神霊として運ぶ際に片野に一泊されたことを起源としています。従って、角神社は、門司甲宗八幡神社の小倉第一の氏子となっています。また、古来より、婚姻の祖神、安産、家内安全、商売繁盛、交通安全の神として片野、三萩野一円の氏神様です。
境内に2基の猿田彦大神があります。
㈰ 文政4年(1821年)
㈪ 建年なし
また、宝暦4年(1754年)の銘が刻まれた大石があります。
神主さんがいらっしゃいました。
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こんばんは。
先ほど、送ったメールで綿津美神社の元あった場所が、
美萩野保育園とありましたが、あれは水神社のことで、
綿津美神社は、灰釜というところにあったようです。
それを、調べてみました。
所蔵地図データベースというサイトで
小倉の古い地図を発見しました。
萩崎の綿津美神社が元あった場所、灰釜が江南あたりだと分かりました。
宮地岳神社が、角神社のあたりでした(多分)
住吉神社も、病院裏手にあります。
また、メルカートのビルがあるところは、お寺だったことも。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2303.html
印刷できるかどうかわかりませんが、画面では色々確認できました。
地名に関して
足立村と調べていて、下記のサイトを見つけました。
志徳は、そういう意味だったのですね。
今日行った萩崎も関係してます。知らなかった〜。
http://ffvision.net/2010/02/%E5%B0%8F%E5%80%89-%E5%90%88%E6%88%90%E5%9C%B0%E5%90%8D/
より
さて、実は、小倉は合成地名の宝庫です。ご存知でしたか?
例えば、以下の通り。
砂津=企救郡砂原村+中津口村
足原=企救郡足立村+黒原村+熊本村+大畠村
三萩野=企救郡三郎丸村+萩崎村+片野村
これらは後に他の村と合併して大きな「足立村」となります。
中井=企救郡中原村+井堀村
志徳=志井+徳力
長行=長尾+能行
徳吉=徳光+吉兼
引用終わり〜
須賀に関して、以前も見たサイトから
http://miwa1929.mond.jp/index.php?%E5%B8%82%E7%94%BA%E6%9D%91%E5%88%A5%E8%A3%BD%E9%89%84%E5%B0%8F%E5%AD%97%E4%B8%80%E8%A6%A7
須賀
州処(すか)が語源という説があります。須賀は一般的には川岸や海岸で砂が丘状になった地形を指します。
上流に砂鉄産地があれば、このような場所には川砂鉄が溜まりやすいので産鉄地名になっています。
しかし産鉄とは関係のない地名も多いと思います。
引用終わり〜
イシスme