とみおかや…富野(山門町)の安全寺 |
宗玄寺、安全寺…があった場所。遷された場所とは…
それで…調べてみました。
すると安全寺、宗玄寺は現在、富野に遷されていることがわかりました。
安全寺富岡地蔵がどこにあるのか、小倉城案内板には書かれていなかったため、なぜか中津…とばかり思っていました。
イメージ的には、朽網とか豊前…あのラインの方だったから。岩村さんも出てきたし(笑)
富岡地蔵は、小倉富野の安全寺にあるんだろうか。
中津にも、加賀山ファミリーの痕跡が残されていますし。昨日ブログにあげた通り、中津城のキリシタン史跡も気になります。
中津、日出…大分のカトリック史跡以前、それと知らずに訪れている場所、たくさんあります。
はたして、中津の安全寺、富野の安全寺は繫がっているのだろうか、実際、情報がないので、訪れて確認するしかないのかな…
明日、教育委員会にも確認してみたいと思います。
けれど、富岡(とみおか)や…で繫がる場所を意識的に繋ぐ必要がある…示してくれていることには変わりありません。
そことそこは…思わぬことで繫がっているのかもしれません。
どちらも、ともに認識する必要があったのですね…近く、行ってみます。
また富岡…といえば、天草・富岡城、祗園橋もあるようです。これもまたリンクします…
小倉藩は島原の乱に大きく関係しているからです。(ちなみに主人の叔父は島原出身です)
イシスさんが送ってくれた古い地図によると、安全寺のあった場所は、古船場町の菅原神社近く…だったと思いました。(少し前に訪れています)
そして、宗玄寺、安全寺はたしかに、富野に遷されています。
これではっきりしました。訪れてみるほかないですね。小文字やここのところ訪れている付近一帯…まだまだ続きます。
members.jcom.home.ne.jp/eirakuan2/kokukita-jyuzan.htm
宗玄寺 曹洞宗
由緒 慶長19年(1614年)小笠原藩初代藩主忠真(ただざね)の父秀政(ひでまさ)は、信州松本城外に臨済寺を建てましたが、翌年大阪夏の陣で戦死、 忠真はその法号にちなみ宗玄寺と改称しました。その後寺は、忠真の転封とともに元和3年明石、寛永9年小倉城下馬借の細川幽斎を祀っていた泰勝院の跡へ移 りました。慶応2年、幕府の長州征討の時、幕府軍の陣営となり兵火で堂宇は焼失してしまいました。昭和51年、現在地へ移転しました。