参考資料引用<日本列島へ渡来した縄文人> |
1、ダーリ人(旧ネアンデルタール人)
約十年万年前、スンダ大陸の旧人で あるソロ人が移動して、黄河流域周辺で非定住の狩猟採取生活を営むようになり、ダーリ人と呼ばれる旧石器人となったが、そのダーリ人の一部がマンモスを 追って移動し、シベリアから沿海州を経て、約一万九千年前、当時は陸続きであった日本半島(列島)へ渡来した。
2、オロッコ人
約 一万二千五百年前、ビュルム氷期終焉時の「大洪水」発生より半世紀前に、世界最大の淡水湖、バイカル湖周辺、現在のイルクーツク周辺にいた新モンゴロイド のオロッコ人(千二百人の新石器人の群れ)が移動を始め、渡来した。千二百人のオロッコ人のうち、六百人はオホーツク海に移動してイヌイット(エスキ モー)となったが、残りの六百人は日本列島へ渡来して縄文人となった。ちなみに、北海道地方でオホーツク人と呼ばれている古代人は、実は、このオロッコ人 のことであり各地の縄文遺跡から出土する「遮光器土偶」は、イヌイット(エスキモー)の遮光器(北極圏の強い反射光を避ける眼鏡型防具)を着けた土偶のこ とである。彼らは、日本列島及び日本海周辺の旧石器文化圏を形成していたダーリ人の「黒曜石文化」を引き継いだ。また、栃木県の那須高原一帯、長野県の塩 尻湖周辺、及び八ヶ岳麗一帯ではオロッコ人とダーリ人の両者は混血して古モンゴロイドとなり、のちに縄文文化の担い手となっていった。
3、港川人
約 一万二千年前、「大洪水」が起こる直前に、セレベス島中部でエブス人(プロト・フェニキア人)とワジャック人との混血によって生まれた新モンゴロイド。彼 らは、「大洪水」が起こったとき、セレベス島海域から黒潮ルートに沿って北上し、沖縄から九州(大隅半島)にかけて新石器文化を携えて上陸、西日本を本拠 とする縄文人となった。その後、約一万千年前以後であるが、彼らは、始良郡(のちの姶良郡)から、宮崎県日向地方や熊本県阿蘇地方などへ拡散していった。
4、アエタ人
約 一万二千年前の「大洪水」の際、港川人と共にインドネシアから沖縄を経て九州へ渡来し縄文人となった古モンゴロイドのピグミー族。一万千年前以後、長い時 間をかけて、薩摩、日向、熊本、壱岐、対馬、山口、出雲、高知、青森、北海道などに拡散していった。彼らは、約8千年前以後に渡来したツングース(アイヌ 人)の叙事詩『ユーカラ』の中で、コロボックル(フキの下の人)と呼ばれていた低身長族である。約七万年前、原マレー人の系統から誕生した種族であるため か、現存する部族のリーダーの中には、長い歴史によって培われたシャーマンの家系が存続していると思われる。
5、ツングース人(アイヌ人)
約八千年前、バイカル湖周辺でオロッコ人とアーリア人との混血によって生まれた新モンゴロイド。のちに、奈良朝廷(七~八世紀の新羅政権)から蝦夷(エミシ)と呼ばれるようになった人々である。
「倭人のルーツの謎を追う」松重揚江著 たま出版