オリオンおよびシリウス龍神たちの封印の解除 |
今日、日中は今の流れ…神武東征、安日彦とナガスネ彦兄弟、そしてアメノホアカリ、ニギハヤヒ、ウマシマジ、物部氏…などの封印を解除していました。
大きな龍が見えて、三輪山や大物主などの地名や人物も浮かんできました。そして嘉穂、鞍手、規矩…の物部氏のかちゆき【歩靫】(馬・車・輿に乗せずに)人が持ち歩く靫。「かち(徒)」+「ゆき(靫)」。などの字も見えて…3時過ぎた頃から、大きな龍の封印を感じて、苦しくてたまらなくなりました。
娘がちょうど、夏休みの宿題の作文を仕上げている時だったようで、「ねえ、糸島の滝にあった、お地蔵さまみたいなの、何だっけ?」としきりに何度も聞きに来るので、…不動明王よ〜と余裕なく答えたあと、はっと思い、不動明王のマントラが必要なんだと2人で気づいて、マントラを藤原さんがとなえると、いつしか、眠くなり、高く上がってゆくように感じましたので、もしかすると、今日、仲間たちが行っているだろう鞍手の磁場調整に関係しているかも知れないと直感的に感じました。後で確認してみたいと思います。よっぽど大きな封印だったようです。
物理次元でこうした作業をしながら、エネルギーキーパーで居る役目があったんだな…と実感しました。また、多くの状況においても、今は各自がそれぞれの領域で同等に使命に従事させられる時期です。ライトワーカーはいま、世界中で大忙しだろうと思います。
さて今週の火曜日からの流れになります。昨日までのブログと連動しています。
宝珠山でのキャンプを終えて、仲間と別れ、辿りついたのは、嘉麻にある馬見神社です。
馬見神社由緒
1祭神 伊弉諾尊(イザナギのみこと)
天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
木花咲哉姫命(このはなさくやひめのみこと)
2祭日 4月18日
10月30日
3由緒
○上宮の創立は不詳であるが、3千年前と言われる。
馬見山頂(987M)の頂上近く御神所(ごしんじょ)岩の巨岩あり、ここに鎮座。
瓊瓊杵尊は天孫降臨の御神で、日本民族の祖。比類なき神徳をもって尊崇される。
○中古仏法隆盛の頃、約1300年前、鎮西八郎為朝現在の神社(下宮)建立。また神木寺も建つ。
○天正前後、武家政治となり、秋月藩主秋月種実公、毎年参拝せられ尊崇を集めた。
○黒田藩となり嘉穂郡の総社として、代々尊崇あり。2月、8月、5昼夜の五穀豊作の祈願祭を行う。
○大正12年11月24日。県社に定めらる。宮司江藤貞利氏。
○福岡県神社誌によれば、神武天皇ご東征の時、ここに参拝せられ、その御神馬が足が白い馬で(足白) 又、馬見の地名が起こったとも言われる。
馬見大明神社
御祭神は天津彦ホホデミの尊・ニニギノ命であって、賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝に祭っている。
馬見山が東にそびえ、渓水が西に流れて、人里離れて潔浄の宮所である。馬見山の山上に社があって、白馬山大明神ともいう。
白馬大明神について
馬見大明神
古宮は馬見山上にあり。
御神域という大岩の辺に石の祠あり。
今の社は山下にあり。
白馬大明神とも申して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なり。
この神、葦毛の馬を忌むという。
この里に飼うを忌むのみならず、
他のことろから来ても、村の方で留めて置くという。
○福岡県神社誌によれば、神武天皇ご東征の時、ここに参拝せられ、その御神馬が足が白い馬で(足白)又、馬見の地名が起こったとも言われる。
この神社の地名が旧嘉穂郡足白村大字馬見字宮小路
ひもろぎ逍遥さんからの解説によると…http://lunabura.exblog.jp/14024988/より部分抜粋
ここからずっと下った盆地の中央に位置する飯塚市の立岩遺跡が2000年前の頃のものだそうです。
鏡の完品が沢山出ていて、大変価値のある遺跡だということ。
この馬見地区からは、その立岩遺跡よりも、もっと古い遺跡が出ているらしい…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ひもろぎさんのいう通り、本当にここはホのつく地、そしてホの神々…
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
天の菩卑能命
天火明命
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番の邇邇藝命
火照命
火須勢理命
火遠理命(天津日高彦穂穂手見命)
穂波、嘉穂と、筑穂…高千穂、豊葦原の瑞穂の国… 穂赤(ホアカリ)赤穂(アッコー)
昨日のブログで、神武東征とその意味、アメノホアカリと、ニギハヤヒ、そしてニニギ…などにクローズアップしました。
この後に、高木の神を祀る中でも最重要神社といわれる聖地を訪れました、その後に荒穂神社へと続きますが、ひもろぎさんによると、この近くに日若神社という神社があるのだそうです。
そちらの伝承を読んでいて、はっと気づくことがありました。昨日のブログから繋がります。
アメノホアカリ、そしてニギハヤヒ、物部氏との関係。
ひもろぎ逍遥さんのブログにて…神武天皇を馬見神社へ連れて行ったのは物部氏だったという見出しにセンサーが反応しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日若神社の神社史より〜 初めてイザナギの命がここに現れたのは、実に人皇第一代、神武天皇の時である。天皇は中州に向かおうとして日向の国から豊の国に行幸された。 珍彦(うづひこ)を得て、案内人とした。天皇は宇佐島から陸路で田河の吾勝野にお出ましになり、兄弟山の中峯で天祖を祀った。
時に、馬見の物部の末裔の駒主の命に出会った。天皇の行幸を聞いて、遠くよりお迎えに出掛けて来たのである。
天皇は大変喜んで、駒主の命が献上した駿馬にまたがって、筑紫に行幸された。その家に行って皇祖を馬見山の上に祀られた。
そして嘉穂(かほ)郡・頴田(かいた)村鹿毛馬字宮に厳島神社があるようです。
祭神は宗像三女神です。
豊前の国、宇佐島より筑前の国・宗像郡・沖津島に鎮座の時、当村日尾山を越えられたという故事によって、景行天皇の御代に三女神を祀った。
神武天皇が幼名の狭野(さの)命と言われる時、筑紫を廻ってみるという事で豊前の国からこの村にやって来られた馬牧が葦毛の馬を献上し、その馬で嘉穂郡の馬見村へ 出掛けられたのを老翁が見送り申し上げた事からこの村を駈馬(かけうま)と言う。鹿毛馬という村の名前の起源がこれである。「葦毛の馬」とは白色に黒の斑が入った 毛色の馬だそうです。「老翁」とは馬見の物部の末裔の駒主の命の事かも知れません。そして、はっきりと馬見村へ出かけたとあります。例の馬見神社の所です。これ で、三つの神社の伝承が補い合えるのが分かりました。その馬見神社の由緒をもう一度書いてみます。
福岡県神社誌によれば、神武天皇ご東征の時、ここに参拝せられ、 その御神馬が足が白い馬で(足白)又、馬見の地名が起こったとも言われる。『筑前名所図会』では白馬大明神とも申して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なり。この神、 葦毛の馬を忌むという。この里に飼うを忌むのみならず、他の所から来ても、村の方で留めて置くという。どうやら、神武天皇の馬がここで逃げたのは、馬が葦毛だった せいで、きっとニニギノ命が嫌ったからだろうと人々は畏れた訳です。理由はニニギノ命は白馬がシンボルだったからです。
この三つの神社の伝承をまとめてみましょう。
神武天皇は周防灘に面した豊前の国に行幸しました。ここで、珍彦という道案内人を得ます。(この人は、後に活躍します。)次に田川のアガノ(上野?)に行きま した。それから山越えをして遠賀川流域にやって来ます。そこは筑紫です。その時、馬見の物部氏の末裔の駒主の命が葦毛の馬を連れて来て神武天皇を迎えに来ました。 大喜びした神武天皇は早速馬に乗りました。そして、駒主の命が天祖を祀ってくれている馬見神社まで出かけました。(そこで、馬が逃げてしまって、葦毛の馬がタブー になった。)それから、廻ってこの日若神社の所までやって来ました。そして、霧で困っていたのを、神のお告げで、イザナギの命を祀って霊水を振ると、霧が晴れました。
馬見神社で、そこに誰がイザナギやニニギノ命を祀ったのか、ヒントを見つけたように書きましたが、実はそれが、この日若神社の由緒書きだったのです。
答えは物部氏です。
深い縁があって、神武天皇が東征の準備を始めたのを聞いてはるばると迎えに来たというのが見えて来ました。
物部氏を辞書で調べました。古代の大豪族。軍事、警察、裁判、刑罰にたずさわった。ニギハヤヒの命の子孫と称し、天皇の親衛軍を率いた。6世紀半ば、仏教受容に反対。なるほど、物部氏は、大和政権で重要な位置を占めているのですが、そのルーツがここにあったのですね。東征を成功させた功績があったから大豪族になった訳です。のちに仏教が入って来た時は、物部氏はそれまで古来のやり方で天孫を祭祀していたので、「とんでもない」と反対した訳です。日子は暦を持つ人ですが、実際に太陽や星を観測して、暦を作っていたのが物部氏で す。この流域は物部氏の本拠地だと聞きます。ニギハヤヒの降臨したという山が下流域の鞍手郡にあります。いずれそちらも逍遥しましょう。以上、これらの伝承から、 物部氏は馬を飼育していた事が分かりました。そして、天孫を祀る家系で、神武の東征に参加していたと。
(以上、引用終わり)
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ここまで読んで、何やら胸の中でざわめくものがありました…
この伝承が暗号のように意味するものが隠されているように思えて。以前からどうしても、物部氏のことを調べると、何か思い出しそうで思い出せないような…はっきりしないものを感じて、頭がしめつけられそうになるのです…
いま、自分達自身がいる場所も聞く物部の地で、物部氏の息がかかっているまさにそうしたエリアなのですが。(近くに物部氏の大拠点があります。)なぜ、そのように感じてしまうのかわかりません。また、鞍手の地に磁場調整(2012年 05月 29日 光のイニシエーションその1)に出かけたときも、非常に重要で古い聖地をかなり繋いで回ったのですが、痛いような不和のエネルギーが残っていて、上げても上げてもすっきりしないという体験をしています…最終的には宗像、勝浦、宮地嶽神社にまで繋いで、大きく光に解け入ったのですが。今の認識であらためてとらえられるものがあるかと思います。
強く促されているもの…アトランティスシンドロームの解除へ続きます!