山門の強くうつくしきディーバたち… |
今回の旅の最終地というか、最大の統合地のひとつは…
竹◎さんのセッション以前も、そして以降もずっと映像に出てきていた光景…
やまのしたのかげひめたち…
土蜘蛛に関する記述は、多くの場合、歪め伝えられているので、
謎に満ちている…
迷わずに山門の老松神社へ…
仲間たちに光の応援をお願いしていました…
神社にはいってすぐ、左手に祠がありました。蜘蛛塚とありました。ここへまず、心を込めてお参りしました…
そして境内の奥へとすすみます。
すぐに声がしてきました。
男達は戦い…女たちは…
先ほどからの流れ…よく存じております…ありがとうございます…
このメッセージが自然で口から出てきて、伝えた途端に、
Yさんと私が泣き崩れ…私がYさんの背中をさすり、
亀○さんが私の背中をさすってくれました…風が吹き抜けてゆきました…
皆で静かに女神たちの声に耳を澄ませるように磁場調整…
やさしいゆりかごのような波動で、私たちに送り返してくれました…
何と、高貴な存在なのでしょう…
仲間全員も同じように感じました。ゆっくりと、ふわりと光にあがってゆく…
女性的なやわらかさに満ちています。
悲しみとハートがやや苦しくなるようなフイーリングとともに。
さきほどの小郡岩田の老松神社で感じた、あの激しさはすでにありませんでした…
70歳のお仲間のSさんのやさしさに似てる…竹◎さんが云われ、その通りだとうなずきました。
どのような物語があったのだろう…この地はあまりにも、女神たちの気配に満ちている…そして強さと悲しみと…戦いに満ちて…
そして水の豊かさ、自然霊たち…豊かさにも満ちている土地です。
Yさんも、亀○さんも、竹◎さんも、そして藤原さんも…同じように感じとらえています…
言葉を超えた世界の波動に繫がって。
ディーバたちは、まつろわぬ存在だった…
古代のライトワーカーだったのだと確信しました。
この老松神社を後にし、どうしても女山神籠石跡が気になって引き返しました。
なだらかな山を車でのぼり、筑後平野が一望できる見晴らし台にかけあがりました…
懐かしい場所のように思えて…
女神たちに抱きかかえられているような不思議な安堵感を感じながら…
その後、帰り道に矢部川のほとりにある水天宮のある場所に車をとめました。
上流から倒れた樹々が流れ着いており、水害の爪痕を見せています。
八女津姫のふるさと、
美しい水の故郷…歴史的にも大きな意味を開示しているこの地にて
縄文の女性シャーマンたちの叡智が蘇るような。
地の底から、強い響きを放つ、このバイブレショーン。
地球の惑星意識に確実に繫がって、
大いなるシフトを直前にする今。
山門の美しく気高きディーバたちに…
さらに深く繫がり直せたように思えた、
大切な1日を静かに終えようとしていました。
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●田油津媛(タブラツヒメ)・夏羽(ナツハ)古代土蜘蛛一覧jyashin.net/evilshrine/gods/.../tsuchigumo_ancient_01.htmlより引用
○掲載箇所:神功皇后 摂政前紀 仲哀天皇九年三月
○登場地:山門県(やまとのあがた)
○比定地:福岡県みやま市瀬高町(せたかまち)山門(やまと)近辺
十四代仲哀天皇は熊襲が従わず朝貢しないので、九州へ討伐に行く。九州に着くと、皇后(神功皇后)に神が降り、熊襲征伐を止めて新羅征伐に行くように言 われるが、天皇はこの神託を受け入れずに熊襲征討を行い、失敗に終わって崩御する。神功皇后は天皇の死を隠し、再度神託を得て、その神が住吉三神等と分か る。神託の後、皇后はまず熊襲やその他九州の賊を討つ。その際に誅伐された一人が、土蜘蛛の田油津媛である。
田油津媛が誅伐されたとき、兄の夏羽が軍を起して迎え来たが、妹が誅伐されたと聞いて逃げた。妹のほうが有力だったのか、ともかく妹が討たれては勝算がなかったということだろう。
ここに見えるのは、土蜘蛛の女性首長であり、恐らくはシャーマンであろう。兄よりも有力者のような感もある。名前の「タブラツ」は「誑かす」と語源を同 じくする言葉で、「人を惑わす」という意味があり、シャーマンとしての実体を表わすのにふさわしい。邪馬台国の卑弥呼も、魏志倭人伝に「鬼道」によって衆 を惑わしたと書かれている。また、当地にある田油津媛の墓と言われる「蜘蛛塚」、別名「大塚」「女王塚」は、景行天皇に討たれた逆賊の首長「葛築目(クズ チメ)」の墓とも言われている。「国巣(クズ)」は常陸国風土記に土蜘蛛の別名と書かれており、「チ」を水の神「ミズチ」や野の神「ノズチ」と同じく神霊、霊力の意、「メ」を女性の意に解すると、「クズチメ」という名は「土蜘蛛の巫女」と解釈できる。
ちなみにこの「山門」という土地は、邪馬台国九州説の最も有力な比定地でもあり、卑弥呼の墓と言われる古墳や、卑弥呼が築いたのか、白村江の戦いの後、 朝廷が九州防備の為に築いたのか説が分かれる、山麓を何キロにも渡って石垣で囲った巨石遺構「女山神籠石(ぞやまこうごいし)」もある。田油津媛も卑弥呼 の前の邪馬台国の支配者か、卑弥呼本人ではないかという説もあるのである。
日本書紀の土蜘蛛の記述は、以上である。
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以下は…http://inoues.net/setaka.htmlより
この地方には縄文時代にエブス人ー毛人の先住渡来民族が、住みついていました。 また、そこは山門山の東の山ろく…その後、この地に金・鉄を求めて渡来した採鉱技術集団であるユダヤ系サカ 族)と、共存、融合しながら、夏羽・田油津媛 (なつは・たぶらつひめ)は、土蜘蛛・手長族を使い、その山門山で鉱脈を掘っていたのではないでしょうか。そもそも山門地方は金属文明が開けた土地で あったため、弥生初期には大和朝廷が土蜘蛛ら先住民を野蛮かつ反逆者として差別し、そして殺戮した 血塗られた歴史が秘められています。 この地域こそは、激戦の中心地だったといわれています。くずちめや夏羽・田油津媛の兄弟も、その闘いの犠牲になり、無念の思いで亡くなっています。 このような地が九州にはいくつもあります…そのような場所から、重要なメッセージが響いてきています。