テーベ…水門を開いて!シリウスへ。その3 |
本日午後から部の、怖れのリリースセッション参加者は、
今年の5月に、原エツコ先生の所(千葉)にセッションを受けに行った、竹○さん。
その時は、ハート部分は、慈愛の龍と言われて帰ってきました。
今回のセッション、反強制でした(笑)!
グループソウルが次々とこのセッションを終了していき、
レスポンスを待っていたのですが、
昨日のまでの流れをこちらが感じ取り、お願いしました!
今朝、来ますとのお返事をもらい、ようやく決意出来た事に嬉しく思いました。
その竹○さん、もうどうにでもしてくれ...そんなような空気を
醸し出しつつ、こう伝えてくれました。
今日は、経験したことがないとても変な天気ですね!
わたしがどうゆう風に?と訪ねると。
竹○さんの家の真上に燦々と輝く太陽があり、回りは雷雨。
(確かに先ほど大粒の雨が降りました)
まるで“狐の嫁入り”のようです!と。
その言葉からセッションはスタート。
恐怖の仕組みを伝えていきます。
その方の恐怖を伝えてもらいます。
魂の統合クラスの受講者の方々は本当に最後の最後の確信部分の扉を開こうと、来ます。
今日の竹○さん、ずばり“性”!が心を閉ざす源。みなさんご存知、心が生きると書いての性です。
異性から(旦那も含め)素直なピュアな愛の波動をだしてもらえずに苦しんでいたようです。
異性からの純粋な言葉や態度をただ受け取りたいだけのようなのですがうまく出来ない。
何故でしょう?
それで誘導瞑想がスタート。あっと言う間の45分です。
みこさんは、隣室にて、ずっと光を送り続けていました…いつしか深い眠りにおちて、
汗をびっしょりかいておきた時に…
はっと起こされたような…やはり…彼女の故郷の耶馬渓や、山門のくずちめ…田油津媛などが浮かんだようです。八女の八女津姫も…その周囲の山々も。
そして、部屋に入るその瞬間に、テーベ、水の都…という言葉がはっきりと聞こえたと。
そして彼女の背中に光を送るとき、とても重たい抵抗を感じた…わからないけれど、言葉が…
今から3人で水門を開けます!
水の都、青い泉…乾いた地を水と光で満たして…
地球において…水が溢れているところと、飢え乾いているところの極端なアンバランス…
豊かさの循環、あなたの意志で、あなたの意識で満たして…
わたしは、そのみこさんのかけ声の元、意識に集中すると、
水で出来ているような大きな水門が開き、パノラマスクリーンを見ている様なド迫力な水柱、いえ、大きな滝が上から下から、両横までとても奇麗な青い大量の水がドーッと流れ出しました。
そして、アトランティスの埋もれた叡智よ、蘇れ!と、それをシリウスへと繋げて下さい!と。
そうしたら、竹○さん、涙をながし出しました。
今世では、苦しい経験を色々として来た竹○さんですが、そんな体験も美しい体験のひとつだと理解できたようです。
不快な思いや出来事を生み出し、そして心を閉ざす、心が生き生きしないように、波動が流れ合わないように、混じり合わないようにと。 裏切り、裏切られと、おそらく壮絶なドラマを演じて来たのでしょう。個人セッションでは、いつも個人的な悩みのヒントを欲している竹○さん。
でもいつも、壮大な次元からのアクセスが来る!!
いつまでチッポけなドラマにはまり込んでいるつもりですか!
セッション最後に、わたしも午前中のOさんのように生み出したかったと、一言。
ここから先は、竹○さん次第です。
誘導瞑想中には、紫の光と共に、とてもリアルに目の前まで現れでた龍にビックリ、また自分の身体が、人間ではなく半動物のフィーリングだったと。
そして、“狐の嫁入り”は、まさにシリウス!
これ以上何をあなたに見せると納得するのですか?
あなたは完全に守られ、そして愛されています!!
藤原康
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セッション終了後、わたしたちは、食事をして、家にもどり、また…調べ始めました。
テーベのウオーターゲートが開いた…数週間前の…雨の被害を受けてまさに封印が解かれようとしている地域…
八女津媛、山門のくずちめ、久留米高良玉垂命、山下影媛…について調べていました…
解けなかったものが解けるように…
するすると…ひもろぎ逍遥さんのブログをあらためて見て、先日おとずれた志賀海神社、香椎宮…
そして八女、浮羽、佐賀、鳥栖…みやま、山門、小郡…と
この地域は実はすごくまとまっているエリアだったのです、そしてはげしい雨に被害があるまえから、
仲間たちと、ここに行かなくちゃ、竹◎さんとYさんと行かなくちゃ…と伝えていました。
実は…狭い範囲で繫がっていたのですね、地図を見て、どうして?と思いました…
そして…今、これを書いている今です。シャワーを浴びていると…
覚えていなかった昨日の夢が…(明け方寝たので、朝方の夢です)
ひもろぎ逍遥のブログを書いている方が(なぜか?)夢に出て来られました。親しく話をしています…
福岡(筑紫)と北九州(豊の国)を繋ぎましょうね…と仲良くお話している(笑)という夢です…
そんな夢を見たことをいま、思い出していたのですよ…
この方だけでなく、きっと多くの方々が…九州に住んでいる方なら誰でも、訪れる神社ほとんどに…武内宿禰と神功皇后の
足跡を見て、不思議を抱かれ、探求されるでしょう…自分自身のハートのルーツに繫がっていくうえで
さけては通れない人物なのです…
宮地嶽、宗像でも、志賀島、久留米、浮羽、香椎、宇佐…多くの主要な神社において…必ず武内宿禰の存在が見え隠れします…
天皇を補佐する大臣であり、(藤大神)、海人族の王であり(住吉大神)、さにわであり…
蘇我氏の祖であり、中臣の祖とも繫がっており…東表国の重要人物であり…小さくて無敵の黒男であり…
私は、今日、竹◎さんのセッション後、仲間とやはり…その地域を繋いではじめて、私たち…の
先祖の光を…光にあげることが出来る…と感じています。
シャワーを浴びながら…ウオーターゲートは開いた…という響きが。
八女、山門、佐賀、小郡…の磁場調整、その必要性を仲間に伝えて…
そして…その磁場調整を終えたら、志賀島、香椎宮、糸島…(猿田彦の地)
また…この夏は対馬への旅を予定しています…
以下はひもろぎ逍遥さんのブログから引用し、自分たちのここまでの足跡を辿りながら…
いま、この時期の最善を動きたいと感じています。
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赤司八幡神社…
筑後平野、筑後川の向こうに耳納連山連山の右端に高良山があります。
ここは八幡神社だけど、宗像三女神が祭神。「もとは、とよひめ神社でした。」
「とよひめ」は豊比咩・止誉比咩・豊姫などと表記されます。
豊姫と言えば、武内宿禰の妻、神功皇后の妹です。
ヨド姫はシリウスの化身であり、津波を教える女神。
それと区別つけるためです。
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ここまで読んで私は…今日の竹◎ちゃんのセッションを思い出していた…
テーべ 水の門 エジプト、ナイル川、そして…フェニキアのテーベ…も泉のあるところ…
こことそこが繫がっている…
ここを磁場調整することで、エジプトやギリシャの地、アトランティスの洪水伝説に繋がり、
圧底的な喪失の記憶を癒すことが出来る…
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(上記省略します…詳しく読んでみてくださいね)
こうやって調べて行くと、この赤司八幡神社の縁起は
かなり古い形態を伝えているものだというのが見えて来ました。
さて、ここに居たのは水沼(みぬま)の君です。
水沼は水間、三瀦(みずま)と表記されて地名にも残る事から、
筑中と筑後を統制していた氏族と思われます。
それに対して筑前にいたのは安曇族(あづみ)でした。
それぞれの海の干満の知識を知り抜いた海人族たちが住み分けしていたのが
筑紫中津宮の時代だったと思われます。
筑中の消滅
のちに筑中の地名は消えて筑後に吸収されて行きます。
筑中が消滅したのは、白村江の戦いで水軍が壊滅状態になり、供出した船と
成人男性の人口が激減したのが原因の一つだと私は考えています。
さらに筑後川の堆積によって海が消滅して舟運が不要になってきました。
そんな水沼族が新天地を求めるとしたら、ありなれ川を遡って博多湾に抜け、
安曇族とは競合しない宗像市の釣川に向かうのは妥当でないかと思うのです。
そうすると記紀に書かれた三女神を祭るのが「宗像族」と「水沼の君」という
の二種類の伝承は矛盾がなくなります。
二族は同族ではないか、「みぬまかた」が「むなかた」と変化したのではないか
と前に書きましたが、全く同じ論を唱える人がいたのを資料の中に見つけて、
今びっくりしている所です。*私もそう思います!
ひき続き…赤司八幡神社より
景行天皇と猿大海と八女津媛
大足彦(おおたらしひこ)天皇が来られて祭壇をたてて、国乳別皇子(くにちわけのみこ)を天皇の代行者とした。この方が河北(こうこた)の惣大宮司・水沼の君の始祖である。
大足彦天皇とは景行天皇の事です。国乳別皇子は天皇の皇子です。
弓頭(ゆみがしら)大明神と呼ばれて、弓頭神社に祀られていて、
墓所もその近くにありました。(⇒弓頭神社)
その人が水沼の君の祖になったと書かれていますが、
水沼の君は古くからここにいたので、
婚姻関係が生じてから、貴種の末裔だと名乗ったと思われます。
景行天皇は神功皇后の2世代前で、やはり筑紫を中心として移動して、
戦いか帰順かという選択を各地で迫りました。
旧山門郡では、女王・葛築目(くずめ・くずちめ)が殺されたのが、
記憶に新しいです。(⇒老松神社と蜘蛛塚・みやま市)
同じ地で神功皇后は田油津姫を殺しています。
その景行天皇が福成神社では三女神を祭祀しました。
そして、この筑紫中津宮でも三女神を祭祀したと言います。
そのあと自分の皇子を代行者として残したのですから、
彼がここをとても重要視したのが分かります。ここは三女神を祀る中心地だったのでしょう。
景行天皇がここに来るまでの状況が日本書紀に書かれています。
7月7日に八女の県(あがた)に着きました。藤山を越えて南の粟岬を望みました。天皇は
「あの山の峰々が重なってなんと美しいことか。ひょっとすると神がおわすのではないだろうか。」と言いました。
その時、水沼(みぬま)の県主(あがたぬし)・猿大海(さるおおみ)が、
「女神がおわします。名を八女津媛(やめつひめ)と言います。いつも山の中におわします。」
と奏上しました。八女(やめ)の国の名はこれから起こりました。
8月に的邑(いくはのむら)に着いて、食事をしました。この日、料理人たちはウキ(盃)を忘れました。そこでウキを忘れた所を浮羽と呼ぶようになりました。今、的(いくは)というのは訛りです。昔筑紫の人々はウキを浮羽と呼んでいたのです。
7月に大牟田から北上して八女を通り、8月に浮羽に行っています。
この筑紫中津宮は八女と浮羽の間にあるので、景行天皇はここに滞在したことでしょう。
ここには猿大海の住まいがあったと神社では伝えています。
猿大海は景行天皇に随行した時、八女津媛の話をしています。
実は私はこの姫の命運が心配でした。あの景行天皇が黙って通り過ぎたのだろうかと。
そう思っていたら、この宮の資料に八女津媛の名前が出て来ました。
「八女津媛は道主貴(みちぬしのむち)の陰魂の荒魂(あらみたま)という。」
道主貴とは三女神の事です。ここで祭られていて、ほっとしました。
(八女津媛を祀る八女津媛神社は矢部(やべ)に現存していています。)
なお、前回は書きませんでしたが、縁起では三女神が降臨したのは、
宗像、道中(筑中)、宇佐の三所だと伝えています。
ここに降臨したのは田心(たごり)姫だそうです。
田心姫と八女津媛は同じ神だという事になります。
水の神と言ってもいろんな側面があるので、女神たちの祭祀場所や名前を尋ねてみると
水沼の君の祭祀の全体が見えてくるかもしれません。
筑後川は「一夜川」(ひとよがわ)と言って、一晩で流れを変えるような暴れ川です。
恵みをもたらしながらも、畏るべき水。
それを司る女神たちを各地に祀ったようすが見えて来ました。
水の女神たちが水沼の君の祭祀の中心を成すのも納得できる地形です。
(つづく)
追記
景行天皇が筑紫を巡狩する時、当社の祭神田心姫命の荒魂が八女津媛となって現れ、
水沼県主猿大海に神告があったので、
天皇は当社に行幸して田心姫命を道主貴として崇められた。 (大城村誌)