「ノアの方舟」とは何か 2, |
ビュルム氷期の最盛期(約二万年前)、アラビア半島から移住してセレベス島(スラウェシ島)にコロニーをつくっていたヒッタイト人(新モンゴロイド)の群れと、一万五千年前にマレi海域で生まれたワジャック人(古モンゴロイド)の群れが、セレベス島マカッサル(今のウジュン・パンダン市)周辺で遭遇して互いに混血・融合し、一万三千年前、オロッコ人(新モンゴロイド)五千人の群れが誕生した。その後、約一万二千年前に起こった「大洪水」のとき、そのうちの約三千人の群れが脱出し、メコン河流域で再建中の「バンチェン文明」の洗礼を受けたのち、東南アジアを出発してユーラシア大陸内を移動しはじめた。やがて、二千二百人の群れは先住ドラヴィダ人の集落のあった「バイカル湖の西岸付近」に達し、自分たちのコロニーをつくった。何世代かを経たのち、コロニーの一部住民(千二百人)が再び移動を始め、そのうち六百人"オホーツク海のイヌイットとなり、他の六百人は日本列島へ渡来して縄文人となった。
縄文人の登場
以上のように、縄文人とは、海没していくスンダ亜大陸を脱出した祖先を持つATLV--(成人丁細胞白血病ウイルス)キャリアの人々のことである。①オロッコ人約一万三千年前、インドネシア/セレベス島マカッサル周辺で、■ワジャック人とヒッタイト人の混血によって生まれた新モンゴロイド。血液A型・ATLV11の保有者。彼らの群れは、一万二千五百年前頃、シベリア.バイカル湖西岸に移動していたが、「大洪水」以後、日本列島へ渡来して縄文人となった。彼らより四千年以上も遅れて約八千年前以降に渡来したツングース(アイヌ人)は、この〃偉大な先住民〃を、オロチョンまたは労民(実は旧人ダーリ人とオロッコ人との混血人種)と呼んでいた。スンダ亜大陸を出発した旧人(ソロ人→ダーリ人)が中国大陸から日本列島へと移動し、新石器文化をうち立てたのち、旧い「汎日本海文化圏」を創っていた。やがて「大洪水」後の一万二千年前以降、オロッコ人が渡来して旧人(ダーリ人)の新石器文化を引き継いだ。こうして、世界史に誇る縄文文明の華が開いていったのである。