光のイニシエーションその2 |
このエピソードは、光のイニシエーションその1からの続編です!
八剱神社内にある、八雷社案内版。
龍神の谷、まさに八岐大蛇がいそうな場所にて、奪われた威厳や霊力を取り戻すべくワーク。しっかりビジョンを得られたところで完了しました。
今、振り返っても、これは意味深い統合だったと思えます。
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そして…剣伝説で有名な熱田神社、古物神社へ…
下記は、http://44051510.at.webry.info/201008/article_13.htmlより抜粋//
遠賀川の記紀伝承 24 邪馬台国より〜
鞍手郡鞍手町古門字西山・ ・ ・ ・ ・
なお境内社の布留御魂社は近くの古門字久保に鎮座していたが、大正10年(1921)に移されたものである。布留御魂神は、大和国布留の石上神宮の祭神と同一で、物部氏が奉斎する。この布留御魂社の創建・由緒はまったく不明であるが、この地域が物部氏と縁由の地であることは、他の神社・祭神からみて異論のないところである(天照神社、六ヶ嶽神社、剣神社の項参照)。さて古物神社の名は、同社に古くから祀られていた剣神社に由来する。
同社縁起によると、かつて尾張の熱田神宮に祀られていた神剣、草薙剣が盗難にあったとき、剣が空に舞い上がり、この古門の地に墜ち、 剣が光を放って数里を照らした。人々はおどろいて近づいてみると神剣であったので、相談してこれを小祠に納めておいた。やがてこのことが朝廷に伝わり、剣 は熱田神宮にもどされたが、剣霊はなおこの地に留まっていた。それで、石上布留の大神の御在所であるところから、この地を布留毛能(ふるもの)村と名づけたという。
熱田神宮の宝剣が盗難にあったということは、『日本書紀』天智天皇7年条に「沙門道行(どうぎょう)、草薙剣を盗みて、逃げて新羅に向う。しかれども中路に風雨にあひて迷ひて帰りぬ」とみえる。また『熱田大神縁起』はさらに詳しく、新羅の僧道行がひそかに神祠に侵入して草薙剣を盗み出し、難波よ り本国へ逃れようとしたが、風雨でまた難波に漂着した。その後詮議がきびしくなったので、道行は宝剣を棄てようとした。しかし剣が身体から離れず、ついに 自首し、斬に処せられたと伝えている。ただ、『日本書紀』『熱田大神縁起』はいずれも、宝剣が筑紫の地まで来たとは記していない。 ・ ・ ・ ・ ・
草薙剣が一時祀られたという伝承は、遠賀郡岡垣町の高倉神社にもあり、この社も物部系氏族にかかわりがある(高倉神社の項参照) ・ ・ ・ ・ ・
(奥野正男)
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また調べでは、熱田神宮の宮司さんの家に伝わる金川文書に、磐井葛子の弟「鞍橋の君」が住んでいたという古文書があるそうです。これもまた調べてみたいと思いました。(鞍橋ノ君は日本書紀にも記載されている弓の名手で、磐井の乱のあと、百済救済の戦に参加して功績を挙げた勇士である。)
*とにかくこのあたりは遺跡も多く、さまざまな歴史的意味を持つエリアなのです。後ほど、詳しい資料などご紹介します。
古物神社くらいまでは、とても暑くて、体力的にも回りきれるかな…という感じでした。ここでの磁場調整を終えたのがちょうど5時前くらい…ここから、可能であれば、芦屋、宗像、勝浦まで。一気に海へと繋ぎたい…ところ。その後、気になる場所で…もう二社、井手神社(龍神さんを祀っている)、
伊豆神社(福岡県水巻町)
【鎮座地】 福岡県遠賀郡水巻町大字頃末2601
【御祭神】・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 山幸彦 神武天皇の祖父
・玉依姫命(たまよりひめのみこと) 神武天皇の母
・鹽土老翁(しおつちのおぢ) 山幸彦を海神の宮に導いたといわれている神
(合祀)・闇神 ・罔象女命 ・猿田彦命 ・神直日命 ・大禍津日命 ・大直日命 ・軻遇突命
【御由緒】
元亀二年(1572)頃末地区の開拓に伴い古賀鎮座の伊豆大明神(今の久我神社)より御分霊を受け、山頂に神殿を建立、依ってこの山を明神ケ岳という。
大正二年(1914)此の地に遷座、現在に至っている。
彦火火出見命は、高千穂降臨の神邇邇芸命(ににぎのみこと)の御子であり初代神武天皇の祖父に当たられる。この大神は山を好み給い、高千穂の宮より当地に御臨幸されたと言い伝えられている。
合祀神社貴船神社は「雨」の神様として広く各地に祀られており、幸神社は「咳」の神様として、又唐熊神社は、安政四年(1857)悪病流行しその消除の為建立されたが、大正三年、三社同時に伊豆神社に合祀された。
当神社は水巻町の中央に位置し、地域の平和と安全、特に除災開運、無病息災、農作物の神として広く尊崇されている。
(案内板より抜粋)
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この伊豆神社周辺の丘陵地は遠賀町島津・丸山歴史自然公園になっているようです。遠賀川流域の豪族たちの古墳群のようです。また時間があれば
立ちどまって調べてみたいと思いました。
さて夕方近くになり、心も少しはやり始めました。
岡湊(おかのみなと)神社(福岡県芦屋町)へ。
遠賀川の河口から1Km弱上流の芦屋町船頭町に鎮座されている芦屋の産土神です。
主祭神は、大倉主命 (おおくらぬしのみこと)と菟夫羅媛命 (つぶらひめのみこと)
筑紫崗浦の神で「日本書紀」仲哀紀によれば仲哀天皇が筑紫を巡幸中に船が崗浦にさしかかったとき進まなくなったので先導者の熊鰐にその理由を問うたとこ ろ、熊鰐はこの浦のオオクラヌシ・ツブラヒメ 二神の神の心ではないかと答えた。そこで天皇が倭国のウダの人、伊賀彦を祝として祭らせたところ、船は進む ようになったという。(神道事典)相殿として天照皇大御神、神武天皇、素盞雄命とが祭られているとのこと。
ここに来ると…遠賀川からー海へと一気に心が解放へと向かい始めました…
海と磯の香りが漂ってくるサンセットの時間帯です…
ここから…素敵な出来事が続きました。勝浦(かつうら)…数日前に夢ではっきりと聞いた地名です。福津の地名になります。この勝浦と、阿呆の勝浦、紀伊の勝浦、そして千葉の勝浦は…海の民族が移り住んだことを示しているようです。
このところ、地名に大変意識的になってきています。四国を旅したあたりから特に…
仲間の○○さんも言われていました。音と印を結ぶことで…封印は解かれるのだと。これは本当に深いことだと思います。
ハイヤーセルフにカルマの統合、この次元での課題のクリアに対して、心からたずねたところ、ガイドの声にて、それではあこうのくずをひろめな…(慈愛に満ちた老人の声だった)というメッセージが入りました。夢の中でもたて続けにいくつかのキーワードが…。
あこうのくず…で赤穂(岡山と神戸の間の)のことも調べました。
アッコーの湊(イスラエルの湊)を意味することも知りました。
秦氏が関西に入るときに最初に足を踏み入れた湊だったようです。この夢の中で、ある知らない神社にて子どもたちがおみくじをひきたいとせがむ、神社の境内に
2頭の白い馬があらわれて…私は赤穂の地にある白馬伝説というのに、その夢を重ね合わせました。
そして、赤の地名を辿って、土蜘蛛や熊襲の征伐にまつわる伝承を知りました…それをブログにあげ、光にあげてゆくつもりで…
そして5月21日に福智山というまさに…北九州統合のポイントにて、仲間たちと光のサークルを繋いだことは本当に重要な出来事でした。
そしてこの遠賀川ー物部の伝承の色濃い…剣岳の磁場調整に繋がりました。
アッコーの湊…神湊(こうのみなと)、そして宗像(胸形)、そして勝浦へと。
勝浦浜は…若い頃、主人とよくドライブに来ていた場所だと…わかりました。ここには何度も来た事がある…
ここが勝浦とは知らなかった…この勝浦から、桂川という地名のエリアくらいまでをとにかくドライブしたい…そして感じてみたい…
海辺を走り続けて…今度は夕焼けの中の田園…奇跡のような光景が。
どこからか、2頭の白い馬があらわれ…私たちの車と平行して走り始めました。
近くに乗馬スクールでもあるのかな。それにしても…
途中で大鷹の姿、白鷺の飛翔を何度も見ました。
道案内をするようにカラスが車の前を先導して飛んでゆきました。
このような胸高鳴る現象のあと、勝浦ーを過ぎて、津屋崎へと。
この地のどこか最後にもう1社、行きたい…と執念にも似て(笑)言っていたのですが…
子どもたちには…ここはね、“ローレル子どもの庭”の八尋先生が、(まさに八尋鰐)住んでいるところに近いんだよ〜と教えていました。
宮地嶽神社には初めて来ます。ここにあることも知らなかった…
なぜか、周波数が異常にアップ(笑)ワクワクワク…
境内に入ると…ああ、ここは夢にでてきた神社じゃないかな…と不思議な思いに駆られました、デジャブのような
そして…やはり子どもたちがおみくじをせがい始めました。境内は、紫色の菖蒲の花々に溢れていました。まるで、御祭りに来たよう…明るさに溢れています。期せずして…
伝承によると、神功皇后が三韓遠征の際、宮地嶽の山上に天神地祗を祀り、「天命を奉じてかの地に渡らん。希くば開運を垂れ給え」と航海の安全、戦勝を祈ったのがはじまりと伝えられています。
祭神は、息長足比売命(別名:神功皇后)とその随従であった勝村大神、勝頼大神の三柱。
境内の奥には、「奥の宮八社めぐり」の入り口があり、またついつい行ってみたくなりました。
6時30分に閉門するようです。この時点で6時17分でした。少し歩くと赤い鳥居がたくさん…
七福神社、稲荷神社、不動神社、万地蔵尊、淡島神社、濡髪大明神、三宝荒神、薬師神社など…点在しています。
わあ〜と。神様たちのパラダイス(笑)はい、ここに繫がっていました〜というような感じで笑っておられるようでした♪
回れるだけ回って、お礼を伝えて、今日の旅を繋ぎました…
本当に、嬉しくなり、役行者さんがまた…ほっほっほっと笑って下さっているようでありました(笑)
なんかあの時と似てる?…四国の剣山の翌日、石鎚山にて感じたフイーリングと。
帰りは…何ともいえない解放感とともに…再び勝浦浜を通り、玄海で海の幸をいただきました。
八幡西区の本城、八剱神社を通過し、若松に入り、鴨生田の地名を確認し、
若戸大橋を通って、小倉へと戻ってきました…
そして…これでは終わりませんでした…
今日もミッション遂行で…安堵とともに、もうクタクタ…前日は運動会、今日は13社巡り…とヘトヘトでした。
鼻水とくしゃみも出て、頭と首筋、胸腺も軽く痛い…そんなコンディションでした。
今日はブログもよそう…そう思いながらも、気になり、止まらなくなり、昼間に行った鴨生田公園の近くの廃墟のようなお寺の事を調べていたら…
また苦しくなって戦いの気が…怒りが出てきました、眠りそうになっている主人に文句をいいながら(ひどい)ヒーリングをお願いしました。
昼間と同じように怒りの感情が出てきて、そしてむなしさ、後悔の念が。
もうこんなこと、やめたい…なんの為にやっているの…という言葉が出てきて涙も。また、自分を信じられない疑いにも似た…
でも、同時にこの私を中立的に見ている自分もまた存在するのでした。
このことにこそ、本当の意味があるのだと…
それで、サポートドラゴン、アヤワスカなどをとりました。
主人が背中に手をあててしばらくすると…すう〜っと胸の中が軽くなるのが感じられました。
そこでいつしか、眠りにつきました。
その後、やや息苦しさで目覚め、またレメディを。その時、すでに、
すべてを忘れたようになっていたのです。でもすぐに嫌なフィーリングを思い出して…主人を起こして、またヒーリングを要請しました。
主人はこう言いました。さっき、観音経をずっと唱えて手をあてていたんよ、何か感じる?と。
観音経の威力をはじめて体感しました。そして…今度は、身体の中の龍体、あるいは蛇のような、エネルギー体が、うねるようになって、
すう〜っと身体の外へ、光へと上昇しはじめたのです。
(これはよく言うクンダリーニの上昇か…前に経験したのは背骨の基底部から上がってスパーク)
なんと表現してよいかわかりませんが、とても癒される感覚でした。みぞおちから抜けてゆくものがありました。
5月半ばの茶話会後も、みぞおちから、怒りが抜けてゆく体験をしましたが。ここまでの体験は初めて…でした。
その後も、観音経を唱えてもらいながら…今度は本当に、心安らかに眠りました…
夢の中では、昔習っていたピアノの先生の家に2人で行き、魔女のような先生が、何かを教えてくれています。
印象的だったのは動物がたくさんいたこと。チャイムがなると、1頭のチーターが優雅にドアへと走っていくのです。
朝、目覚めると、身体の疲れも痛みもすべて取り去られていて…軽やかさ…そして明るさにみなぎっていました。
主人が夢の中で、0:0 宗像という言葉を受けたようです。どういう意味かなあ:と感じているようでした。
そして、いつか行ったあの場所、木の腐りかけた遊具がある、池のある公園の風景が浮かぶというのです。
よく感じてみると、それは朝倉郡:浮羽のある公園だと私が思い出しました。
蘇生したように。今日をスタート、11時から、足立山、安部山の水の女神意識の方のセッションへと…
よく考えてみると…四国剣山、伊予石鎚山から戻った日、当日の朝のセッションも、この方から始まりました…
これも意味深いことです。足立山の龍神へと水の女神意識へと…繋いでくださったように思います。
新たなはじまり…にふさわしい共同創造となりました。彼女はマヤ…の記憶を思い出しているようでした。
またすぐに、明後日にクラスを予約して元気に帰ってゆかれました。
今日は…徳力のしんり幼稚園繫がりの方々、仲間の亀○さんや、神職の○○さん(スセリ姫のような人)画家の○○さん、など、多彩な方々がサロンに来られました。明日はサロンの方は、香春神社の神職さんと同じお名前の香春古宮神社在住の方、龍神、ケルト、平家、聖騎士団の魂の響きを有する方のご予約が入っています。週末は、岩村さんご夫妻のヒーリング、(石上神宮(物部)、道教、英彦山、豊國法師、フランスの異境団?などでもゆかりの深いようです)
次週は飯塚、筑後の磁場調整、高良山ー育ての父の故郷久留米)に繫がる旅を予定。6月第二週目は、物部の拠点であるしんり教のしんり幼稚園で講演、続けて、朽網の公民館にて講演、予定です。ますます統合しつつパワフルに繋ぐことを願っています…真に豊かなる時代への挑戦を表現しながら…
仲間たちへの愛に繋がりながら…
今回の移動距離、約200Km。 赤線は、移動場所です。