○イソタケルのすべて1 |
http://rokujigen.iza.ne.jp/blog/tag/3987322/3/より転載
八百万の神々は出雲が創った
スサノオ命が真名井で玉飾りをすすいで、天忍骨(あめの・おし・ほね)命が生まれています。
この真名井が丹後一の宮籠神社の奥宮真名井神社を指しているのなら、天忍骨命とは奥宮祭神の豊受大神(外宮)のことになります。
島根県松江市の真名井神社は、明治にイザナミ社を改称したものです。
近くにある真名井の滝から採ったものと思われます。
忍骨命を祀っているのは、香春神社(福岡県田川郡)です。
この神社も(度会氏の祖の天村雲命が奉祭した)英彦山神宮の北岳・中岳・南岳と同じように、香春三山(一ノ岳・二ノ岳・三ノ岳)があります。
『豊前国風土記』に「昔、新羅国の神、自ら渡り来たりて、この河原に住みき、すなわち名づけて香春神と言う。」と書いてあるように、香春の神はイソタケルと同じく朝鮮半島から来た神です。
宇佐の『辛嶋勝姓系図』には、スサノオ命の子孫の辛嶋氏は、新羅から築紫神社(名神大社 福岡県築紫野市)にイソタケルを祀り、次に香春岳に(新羅神を)祀った。そして宇佐の稲積山(宇佐市中)に辛国神が降臨したとしています。
この稲積山を宇佐郡辛国宇豆高島と呼んでいます。
鹿児島県国分市にあるイソタケルを祀る神社は、韓国宇豆峯神社です。
香春神社の祭神は忍骨命の他に、辛国息長大姫大目命と豊姫命です。
辛国息長大姫大目命は「韓国の息長氏の姫である大目命」という意味ですが、大目命を「おおま命」と読みます。
そして、外宮筆頭摂社の草名伎神社(伊勢市常磐)と並んであるのも、大間国生(おおま・くなり)神社です。
祭神は外宮度会氏の祖の大若子命(別名大幡主命)・乙若子命兄弟です。
大若子命は11代垂仁天皇より標剣(しるしのつるぎ=草薙剣)を賜って、越国に遠征した者です。
博多どんたくで有名な櫛田神社(福岡市博多区)と、太宰府天満宮摂社にも祀られています。
大目命は、大若子命が遠征した佐渡の大目神社(佐渡市)の祭神の大宮賣(おお・みや・め)命のことです。
大宮賣命は外宮の故郷丹後の二の宮大宮売神社(京都府丹後市大宮町)にも祀られています。
期せずして草奈伎(天牟羅雲)神社と大間(大目)国生神社が同じ所にあり、度会氏の祖の大若子命が「天村雲命(度会氏祖)ー英彦山神宮ー忍骨命ー香春神社ー大目命ー大若子命」と繋がっていることを考えれば、
出雲氏族の和邇氏(三輪氏)が、各地で度会氏、宗像氏、秦氏、賀茂氏、安曇氏、壱岐氏、息長氏、海部氏、尾張氏、津守氏、辛嶋氏、宇佐氏、大神氏などを名乗り、
それぞれが共通の祖の大国主命やイソタケルを、豊受大神、宗像大神、松尾大神、稲荷大神、賀茂別雷命、月読命、級長津彦命、火明命、住吉三神、八幡神などと名を変え、少しずつその縁起を変化させたと考えることができます。
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イソタケルの神名・地名から古代史が解ける
7代孝霊天皇の時(2世紀後半)に、朝鮮の月支国の軍船が、日御碕神社(島根県出雲市)に押し寄せていますが、日御碕神社の6㎞南に出雲大社があります。
出雲大社近くの海岸が稲佐の浜です。
ここで高天原の使者が、大国主命に国譲りを迫りました。
おそらく朝鮮半島から戻ってきたのを捕まえたのでしょう。
この稲佐(い・な・さ)は、イソ猛(タケル)の「い」「そ」の間に「な」を挿入したものです。(「いなそ=いなさ」)
三輪の登美(と・み)を「と・な・み(砺波)」と言ったようにです。砺波市は富山県ですが、富山も外山(とび(み)=奈良県桜井市)に由来します。
神聖な井戸である真井も「ま・な・い」と読まれます。
長野県上田市には『蘇民将来伝説』が伝わっています。(三重県伊勢市、広島県福山市と同じ)
上田市の千曲川の渡し場を大屋町と言います。ここの大屋神社は歴史は新しそうですが、大屋彦(イソタケル)と手力男命が祀られています。
そして、上田市から出たのが有名な真田(さ・な・だ)氏です。真田は佐田大神(イソタケル)の佐田です。
佐賀県杵島郡白石町辺田の稲佐神社にイソタケルが祀られています。神社の近くの八艘帆(はっすぽ)が崎には、イソタケルが韓地より来て上陸したと伝えています。
長崎市稲佐町の浦上川対岸は尾上町です。ここでは「おのうえ」と読ませますが、元は小野氏の小野江であったと思います。(伊勢市尾上町、松阪市小野江町、岡山市北区尾上)
二音の言葉は聞き取りにくく、往々にして頭に「あ」「い」「さ」、間に「な」、尻に「わ」などが付けられます。
「いそ」に「わ」を付けたのが「いそわ=いさわ」、三重県(伊勢国)志摩市磯部町の伊雑(いざわ)宮です。
頭・間・尻に一音付けるのではなく、音をダブらせることもあります。
イソを「イソソ=いすず」としたのが五十鈴川です。
上流には伊勢神宮がありますが、河口には磯部氏が居り、『蘇民将来伝説』を伝えています。
イサを「イササ」としたのが、朝鮮から来た神伊奢沙別(イササワケ)です。(別は尊称)
越前一の宮気比神宮(福井県敦賀市)の祭神です。
そして、ここに御所を設けたのが、風神シナツ彦を祀る息長氏の神功皇后です。
「シ」は「磯(し)」であり、「ツ」は「~の」という意味ですので、「シナツ彦」は「磯(石)の神」、つまり磯部氏(度会氏)の石部(いそべ)神社祭神の天日方命です。天日方命は大国主命の子です。
『記紀』はイソタケルをスサノオ命の子としていますが、『飛騨の口碑』は大国主命の子であると伝えています。
子孫の出雲族にしてみれば、飛騨に降伏した大国主命よりも、「朝鮮(月支国)の力を借りて」政権を取ったのだから、朝鮮半島から来たイソタケルを祀りたかったのだと思われます。
しかし、それでは民意を得ることができなかったので、イソタケルを事代主命と名を変え、父の大国主命に天皇家に出雲を譲ってやるように進言したというストーリーにしたと考えます。
その他、珍彦(うずひこ)、級長津彦(しなつひこ)、火明命、伊勢津彦、佐田大神、豊受大神、宇迦之御魂、松尾大神、日吉大神、賀茂別雷命、建御雷命、菊理姫等々に名を変えて各地に祀られています。
(畿内の一の宮は全てイソタケルを祀っていることになります。)
これが日本の建国史を判りにくいものにしています。
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ウカノミタマはイソタケルか
昨日「宇賀」は「かがーくがーうか」と変化したもので、外宮の祭神ウカノミタマ(豊受大神)は、加賀(松江市)で生まれた佐田大神(イソタケル)ではないかと書きました。
「くが」という地名などに、佐田大神、イソタケルなどとの関係を見つければ、その証拠になります。
『山城風土記』に、「賀茂建角身命が葛木山から岡田の賀茂を経て、桂川と鴨川の合流した所(京都市伏見区久我本町)から、鴨川を上り久我国の北の山麓に鎮まった」とあります。
山城一の宮上賀茂神社のある地は久我国です。近くに久我神社(北区紫竹下竹殿町)があります。
久我神社は『延喜式(927)』では「こが神社」と読みます。
それでは「かが(加賀」)ーこがーくがーうか(宇賀)」と変化したようです。
秦氏は伏見稲荷大社にウカノミタマを祀っていますが、松尾大社も奉祭しています。「松尾大神は筑紫宗形の神」であり、「鴨祭りは、秦氏が姻戚関係のある賀茂氏に譲った」ものです。(秦氏本系帳)
賀茂氏は三輪氏の同族であり、宗形氏も三輪氏の同族です。
古賀市(福岡県)の地名は、その宗像大社と安曇氏の志賀海神社の間にあります。
茨城県古河(こが)市には磯部の地名があります。(磯部は外宮度会氏の旧姓)
どうもこれだけではまだ決定打に欠けるようですので、もう少し調べてみます。
しかし、外宮、賀茂神社、宗像神社、松尾大社などの祭神が、イソタケルだと証明できれば古代史は一変します。
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著名な神社はすべてイソタケルを祀っている
松尾大社(名神大社 京都市)の松尾大神は、宗像大社(名神大社 宗像市)の祭神であり、上賀茂神社(名神大社 山城一の宮)の賀茂別雷命のことでもありますが、
さらに日吉大社(名神大社 近江一の宮)の大山咋神でもあります。
松尾神=宗像神=賀茂神=大山咋神
日吉大社(滋賀県大津市)は東本宮に大山咋神、西本宮には大国主命を祀っています。
大山咋(おおやまくい)神は日枝山(比叡山)の神です。
下鴨神社の御蔭祭は、比叡山の西麓にある御蔭神社(左京区上高野東山)から神霊を迎える神事です。玉依姫はここで賀茂別雷命を生んだと伝えています。
比叡山東麓の大津市和邇は和邇氏の領地です。ここはちょうど琵琶湖がくびれていて、渡しのあったところだと思われます。その対岸にある御上(みかみ)神社の祭神も天之御影神です。
近くには馬路石部神社、石部神社(磯部大明神)、石部神社があります。
御蔭ではありませんが、石川県鹿島郡(佐太神社も鹿島町)の天日陰比咩神社の祭神は久久能遅命は木神ですが、イソタケルも木神です。「久久」も「かが」の転訛だと思われますが、「かげ(蔭、陰、影)」もそうです。
こうしてみると、宗像大社(福岡県)、日前国縣神宮(和歌山)、吉備津彦神社(岡山)、籠神社(京都)、弥彦神社(新潟)、白山比咩神社(石川)、日吉大社(滋賀)、鹿島神宮(茨城)、三島大社(静岡)、松尾大社(京都)、上賀茂神社(京都)、住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、大神神社(奈良)など、著名な神社はみなイソタケルを祀っていたことになります。
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蛇神はイソタケル
三輪氏が神武天皇記にみずからの伝説と系譜を天皇の次男の子孫として挿入したと考えます。
出雲神信仰は東国、和歌山、徳島、北九州にも広がっていますが、挿入されたと思われる神武天皇の次男は常陸国仲国造家の祖です。
この仲国は後の那賀郡(那珂市、水戸市、常陸大宮市、ひたちなか市)です。
那賀郡の青山神社(イソタケル)は、紀伊国名草郡の伊太祁曾神社(イソタケル)から神託により勧請されたと伝わります。
『常陸風土記』の那賀郡茨城里の条に次の話が書かれています。
「ぬか彦とぬか姫という兄妹がいた。
そのぬか姫の所に名も知らない男が、夜来て昼には帰って行った。
ぬか姫は一夜で妊娠し小蛇を産んだ。その蛇は神の子であった。」
「夜来て昼に帰った」「蛇」「父の名を知らない」という点などは、三輪山の伝説と似たところがあります。
出雲神を祀る三輪山の蛇神(箸墓)伝説は、佐太神社(島根県松江市鹿島町)の神在祭の龍蛇に由来すると思われます。
佐太大神は加賀の神埼(松江市島根町加賀)で誕生しています。
この加賀が蛇の代名詞となって、ヤマカガシ(蛇)、鏡餅(蛇のとぐろ)の名が付いたと吉野裕子氏が説をとなえています。
私は「かか」から天香語山命の名が生まれ、香語(かご)を籠と表記して丹後一の宮籠(この)神社の社名になったと考えています。
木の神久久能遅(くく(=かか)・のち)は、同じ木の神イソタケルのことと思われるので、
佐太大神とはイソタケルのことであり、それが蛇神として三輪山(大和一の宮)、天香山命として弥彦神社(越後一の宮)、菊理姫として白山神社(加賀一の宮)として祀られたのであろうと思います。
イソタケルを祀る香春神社は福岡県田川郡鏡山のとなりです。
高知県香美(かがみ)市の大川美良布神社の祭神は、三輪氏の大田田根子です。
そして、三輪氏の手によって『記紀神話』に、龍となってウガヤフキアエズ命(神武天皇の父)を産んだ豊玉姫(玉依姫、ホホデミ)としてイソタケルが挿入されたと考えます。
伊勢神宮の東にある『朝熊山縁起』には「天照大神が弘法大師に告げて言われるのに、いつも『蛇』がうるさいので、伊勢神宮に神鏡を移した」とあります。
このうるさい蛇とは三輪山の蛇神ことであり、後の外宮の祭神豊受大神(=豊玉姫)のことであると思われます。
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三神の正体
那須加美乃金子神社(対馬)、香春神社(福岡県田川郡)、宇佐神宮(大分県宇佐市)、宗像大社(福岡県宗像市)、伏見稲荷大社(京都市)、住吉大社(大阪市)、伊太祁曽神社三社(和歌山市)、阿坂神社(三重県松阪市)、伊勢神宮外宮(伊勢市)
これらの社は神名は違えど、すべて三人の神を祀っています。
しかも、対馬と香春を除いて政治力を持った名神大社です。(伊勢は別格)
神功皇后の三韓征伐に軍功を立てた三輪氏が、秦氏、津守氏、安曇氏、紀氏、度会氏を名乗ったという推理が正しければ、
これらの祭神はすべて同神です。
それは誰かと言えば、それぞれ父、婿、母、娘、嫁などと社伝は違ってますが、イソタケルを中心とした出雲神です。
九州神話の中では、綿津見神、豊玉姫(玉依姫)、ホホデミ命(火明命)です。
平安京では上賀茂大社・下鴨大社の賀茂別雷命、玉依姫、賀茂建角身命、
平城京では春日大社の建雷命、比売神、経津主命、
ヤマトでは大神神社の大物主大神、大己貴神、少彦名神であるわけです。
日本神話は八百万の神々がいたとされますが、それらは権力を握った出雲氏族が少数派であったために、自らの祖の名前を偽装して各地の社に祀り、『記紀』に挿入したものです。
ニニギ命ーホホデミ命(火明命)ーウガヤフキアエズ命ー神武天皇
の系図の中のホホデミ命は、
ニニギ命の口を借りて「必ず我が子にあらじ」とエクスキューズしているように(日本書紀)、
ニニギ命とウガヤフキアエズ命の父子の間に割り込んだ出雲神です。
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龍田大社もイソタケル
伊勢神宮内宮の別宮風日祈宮(かざひのみの宮)の祭神級長津彦(しなつひこ)命と級長戸辺(しなとべ)命は、
神武天皇の東征の道案内をした椎根津彦(しいねつひこ)です。
その椎根津彦は倭国造家の祖(倭宿禰命)です。
また奥夷(おくえびす)と言われ(大和神社)、「夷=事代主命」「磯良恵比須=イソタケル」のことです。
火明命ー天香語山命ー天村雲命ー倭宿禰命
級長津彦命・級長戸辺命は風神ですが、河内と大和を結ぶ街道に位置し、風神を祀る龍田大社(名神大社 奈良県生駒郡)の祭神天御柱命・国御柱命は級長津彦命・級長戸辺命のことと言われています。
龍田大社に伝わる『龍田大明神御事』という縁起書に「大明神と住吉大明神は同じ事」とあります。
住吉大社祭神の底筒男命、中筒男命、表筒男命も級長津彦命・級長戸辺命であることになります。
龍田大社がある生駒山一帯は、古くから住吉大社の神領でもあります。
イソタケルを祀る神社名は、伊太氏、伊達、射達、印達と書いて、いずれも「いたて」と読みます。
京都市左京区の神社だけは、伊多太神社であり、「いたた」と訛ります。
したがって、龍田の名も「い・たた」から「たつた」になったと思われます。
龍田大社は『神名帳』に龍田坐天御柱国御柱神社です。
そうすると、伊太祁曽神社の旧社地に立つ日前(ひのくま)神社・国縣(くにかかす)神社(和歌山市)の祭神も級長津彦命・級長戸辺命(=イソタケル)であるのかも知れません。