葛と藤…1/2 |
今朝の瞑想中の閃きの言葉は…
八宝、お店終わり、ピラミッド、オレリアン、関、聖•伽•仁、明•之•鏡、
胸を持った身体と心の統一、東の国、たごり、トレパス、アトリ•
藤原家の雲の存在がこの本(巻物)を書いた•
葛城、葛野…であります。その後に、わにとくま…という言葉も来ました。
それで今日中に、いろいろな気づきもあり…書き留めておきます。
事代主神とは、より引用//
http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/kotosironusi.htm
□事代主神(ことしろぬしのかみ)…大国主神と神屋楯比売神(かむやたてひめ)の間の子供です。神屋楯比売神の出自は不詳ですが、旧事本紀には「坐辺都宮・高降姫神」と書かれており、兄の味鋤高彦根神(賀茂大神)の母が「坐胸形奥津宮神多紀理比賣命」と書かれていますので、ひょっとしたら同じ宗像の辺都宮の神・田寸津姫の異名かも知れません。つまり「高降」は「たぎつ」と読む可能性もあります(降=来か?)。ただし田寸津姫については別の神との婚姻の記録もあります。
天若彦
素戔嗚神—————田心姫 ‖
‖ ‖ ‖——味鋤高彦根神(賀茂大神)・下照姫
‖ ‖………大己貴神(だいこく様) (阿加流姫)
‖ ‖ ‖ ‖——八重事代主神・高照姫
‖ ‖ ‖ ‖ ‖——五十鈴姫(神武天皇皇后)
‖ ‖ ‖ 高降姫 三島溝杭姫
‖ ‖ ‖—————建御名方神(諏訪明神)
‖ ‖ 沼河姫
‖ 櫛稲田姫
‖————————葛城一言主神
○
事代主神は賀茂一族の信仰の中心をなす神であり、また葛城王朝を支えた重要人物として日本書紀に書かれている人でもあります。また「えびす様」としての信仰もあります。この点について詳しいことは賀茂探求の項を参照してください。下記にはその概要を述べます。
●葛城の事代主神
事代主神の最初の本拠地は葛城(奈良県御所市)の下鴨神社(鴨都味波八重事代主命神社)です。ここで事代主神は最初、葛城川の岸辺に季節毎に祭られる田の神でした。それがやがて、同じ葛城におられ、叔父様に当たる一言主神の神格の一部を引き継いだのか、託宣の神としての性格も持つようになります。
●淀川の事代主神
事代主神は後に奈良盆地北部の交通の要所である岡田から「ワニと化して」木津川・淀川を通って、大阪三島の溝咋姫の所に通 われたと伝えられます。この場所には溝咋神社(茨木市)・三島鴨神社(高槻市)が並ぶように建っています。三島鴨神社は大山祇神のご降臨の地で、大山祇神 はここから瀬戸内海の大三島に移られました。三島鴨神社は日本最古の三島神社と伝えられています。そしてここは事代主神の滞在地でもあり、事代主神もいっ しょに祭られています。
●出雲の事代主神
後に、事代主神は出雲に移動なさったようです。神話の時代は逆行してしまうのですが、国譲り神話の際に父・大国主神の代理として武甕槌神と交渉なさり、国譲りに同意して美保関に引き籠もられる神話が出てきます。この美保関の美保神社にも事代主神は義母の美保姫とともにお祭りされています。(この神社の御祭神問題は同神社の項で詳述)
出雲にはその事代主神が揖屋の溝杭姫の所に通っていて「ワニに足を噛まれた」という神話が残っています。この話は上記の淀 川の事代主がワニに化して溝咋姫の所に通ったという話が変形したものと思われます。揖屋に溝咋姫(溝咋玉櫛媛・活玉依姫・勢夜陀多良比売)ゆかりの神社が あっても良さそうなのですが、まだ発見していません。(すなおに揖屋神社かも知れません)
●伊豆の事代主神
美保で国を譲ってしまった責任を取って引き籠もられた事代主神は伊豆で再生して三島明神となられました。伊豆は「出ず」で再生の地であり、残された場所は「伊豆・喪」で「いづも」なのだと言います。
三島明神はここで八人の妃神と二十七人の御子神を得て、富士山の神と共同で七日七夜の間に、ここに十個の島を生成して、新 たな国作りをなさいました。そして初め三宅島におられたのですが、後に白浜海岸→広瀬と移られて、最終的に現在の三嶋大社の場所に御鎮座なさいました。で すから事代主神の最終御鎮座地はこの三嶋大社という訳です。
伊豆で最初の御鎮座地である三宅島の富賀神社および第二御鎮座地の白浜神社の御祭神は伊古奈姫。そして広瀬神社の御祭神は溝咋姫。いづれも事代主神の重要な妃神です。伝説では三島明神は奥様たちを置いて単身で三嶋大社に御鎮座なさったと伝えられています。
●葛城王朝の事代主神
事代主神は神武天皇に始まる葛城王朝において、たいへん重要な地位を占めています。
日向賀牟度美良姫
‖——+健飯勝命
+天日方奇日方命| ○
三島溝杭姫 | +渟名底仲媛 ‖——天豊津媛命
‖————+五十鈴姫 ‖ +息石耳命 ‖
‖ ‖——綏靖天皇 ‖ | ‖——孝昭天皇
‖ 神武天皇 ‖ ‖—+————懿徳天皇
八重事代主神 ‖——安寧天皇
‖—————————五十鈴依姫
○
つまり葛城王朝というのは、事代主血族の王朝ともいえる程です。つまり伊邪那岐・伊邪那美の神の下で天照大神・素戔嗚尊の両系統に分かれた天神・地祇の系 統がここで統合されています。つまり天神とは神武天皇の祖先であり、地祇とはその后の五十鈴姫の祖先であるという考え方さえ成り立つのかも知れません。
事代主神は宮中の御巫(みかんなぎ)八神の一にもなっています。「えびす様」が、そんなとんでもない場所に祭られているとは、知らない人が多いと思いますが、それは天皇家の祖先に関するこの大きすぎる地位に根拠があるのでしょう。
以上抜粋終わり//
あ〜それで、槻田天役神社にはえびす様が祀られていたんだ…
それから、たごり…と来たのは、たぎりつ姫の事だったのかな。昨日の蒲生の小さなお宮… 於姿宮神社にも、事代主神と多紀理毘売命が御祀りされていました。
水波能女神や大山積神様といっしょに。このあたりは神功皇后や応神天皇、仲哀天皇が祀られていることは多いのですが、事代主神神はあまり意識していませんでした。四国へ旅して以来、鴨、加茂、賀茂…ばかりやってきます。大三島神社はいろいろな意味で、重要な神社だったことを認識。導かれた流れに、感謝。
*宗像三女神の一柱で『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫と表記される。別名奥津島比売命(おきつしまひめ)だが、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。
神名の「タキリ」は海上の霧(きり)のこととも、「滾(たぎ)り」(水が激しく流れる)の意で天の安河の早瀬のこととも解釈される。日本書紀の「タゴリ」は「タギリ」が転じたものである。
この女神を単独で祀る神社は少なく、宗像三女神の一柱として各地の宗像神社・厳島神社などで、また、天照大神(あまてらす)と素戔嗚尊(須佐之男命・すさのを)の誓約で生まれた五男三女神とともに各地の八王子神社などで祀られている。
『古事記』の大国主命の系譜では、大国主命との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照姫(したてるひめ)を生んだと記されている。
えびすさん、大黒天さんと出てきたから8宝なのかな…縁起のよいメッセージと受け取りました!五男三女神、八王子神社…これも8宝だといえる。
朝のブログにも…天川の弁財天、八大龍王の事を書きました。
八は、たくさんという意味もあるもの…調べてきると、八宝菜ばかり、出てきました…(笑)
吉祥の意味をもつ「八宝(はっぽう)」…波間に漂っている。八宝、す なわち8つの宝物は、仏教や道教などによっていくつかの組み合わせがありますが、龍袍の波間に漂う八宝は仏教の伝説にもとづく宝物が多くみられます。
妙なる音を出し気運を開く法螺(ほら)/円転してやまない法輪(ほうりん)/人びとを保護する宝傘(ほうさん)/人びとを病気や貧困から救う天蓋(てんがい)
汚泥に染まらず清らかな花を咲かせる蓮華(れんげ)/福智円満な宝瓶(ほうびょう)/堅固活発で邪悪を退ける金魚(きんぎょ)/長寿を意味する盤長(ばんちょう)
ますますよいメッセージと受け取りましょう(笑)
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さて…話はガラリと変わります…というか昨日までの流れに戻ります。ずっとずっと流れを辿っていくと…
役行者、藤原不平等、玄ぼう、藤原広継、藤原宮子、阿刀大足、伊予親王、善珠、 空海、安倍清明… ずっと繫がっていることがわかりました。
そして昨日、ようやく空海と剣山…イスラエルの秘密まで到達しました。(先週の4日に剣山に登頂した地点)
藤原宮子は…豊玉姫と共通するところがあると思いました。役行者と同じ、血族で賀茂姫の娘ということになっていますが、紀伊の海人の娘を不平等の養女にしたとも言われています。謎の多い女性です。
神話によれば、初代神武天皇の両親も叔母と甥でした。 姉の豊玉姫が産んだ赤ちゃんを、妹の玉依姫が引き取って育てて婿にし、
生まれた子どもたちの末っ子が神武天皇でした。
聖武天皇の父文武天皇の両親も叔母と甥でした。文武天皇の母元明天皇は、父草壁皇子の母持統天皇の妹でした。皇室のはじめは、叔母甥婚が多いようです。
文武天皇と藤原宮子の子が聖武天皇
藤原不比等と賀茂比売の子が藤原宮子、その子が聖武天皇
藤原不比等と県犬養三千代の子が光明皇后(宮子と腹違い)
聖武天皇と光明皇后…ですので叔母と甥が婚姻しました。
また…面白いことを発見しました!今日の閃きの言葉の中にもあるのですが、葛城、葛野…という言葉。地名。
いま、役行者、藤原氏、そして空海の流れをやっていていろいろな事が不思議なくらい、重なってきました。