光のレターその521(田川/加賀山隼人) |
今日、田川に行ってきました。
加賀山隼人のお墓のことを、香春町役場の教育課の方が、人づてで知っていたようで、詳しい場所を電話で聞いてくれました。住所は分からなくて、地図で教えてくださいました。「ぺトロ岐部と187殉教者」の本は2008年に出版されていますが、その後お墓の場所が、別の場所に移されていて、採銅所の近くの民家の名前を教えられました。
少し迷った後、ちょうどその名前の家の前に行きつきました。
広いお庭のある家で、外から覗いてみたのですが、燈籠のようなものは見えましたが、それらしいものは見当たりません。その家のさらに上の方に何かありそうな気がして歩いて行ってみましたが、何も見つかりません。なので、思いきってそのお宅に行って伺ってみました。
その家の奥さんに、何故かとても邪険に扱われたのですが、ご主人がお墓の場所を教えてくださいました。
やはり、先ほど歩いてみたところの方向で、少し左手に入ったところにありました。
お地蔵さまとお墓が二つならんでいて、お地蔵さまはまだ新しく、お墓は確かに古い石が積み重ねられていましたが、本の写真と見比べても同じ石ではなさそうでした。気になったのが、お地蔵さまとお墓の間の後ろの方に、古そうなお地蔵さまの頭だけが置かれていたことです。
それから、役場の方も、場所を教えてくれたご主人も、「加賀山隼人のお墓といわれているところ」というような言い方を強調されていたのも気になりました。
どういう理由で誰がお墓を移したんだろう?
地元の人達には、あまり知られてるようでもなく、知っている人達にも、本当かどうか疑わしい、といった感じで認識されている様子。
私は、今日田川に入ってすぐに、採銅所あたりを通る時に、一瞬頭痛がしました。あ、この辺にあるのかな?と思いながら役場に向かったのです。それと、そのお墓から見た香春町の景色が輝いて見えていました。
なので、自分の感覚を信じ、心を込めて、光へ上がるよう祈りました。宗教で迫害されるような時代はもう終わり、もうじき、すべてがひとつとなる、争いのない素晴らしい世界がくることを心で伝えました。
家に帰ったら頭痛が始まりましたが、しばらく横になっていると治りました。
夜、主人に今日のいきさつを話したところ、加賀山隼人のお墓の移される前の場所も聞けばよかったね、と言われ、ほんとだー!と思いました。今となって、移された時期や理由も聞けばよかった、と思いますが、今日はご先祖さまのお導きのおかげでスムーズに繋がったと思います。
空に、またもやピンク色の棒状の光が写っていました。