シリウスの母船、シャンバラマスターとのハートラインその1 |
一週間ぶりの帰宅。旅の始まりは母とのスピリチュアルな問答、母の導き。
それ以前に姉との愛の交流も繋がっている。
祖父である国東、宇佐の地と、
祖母である日田、筑後の地。
家族の伝統を歓びへとさらに書き換えている。
私たちのグリッドポイントは古代九州の霊地の再生。
埋もれた霊地。光の欠片を集めながら。
曾祖母の生きた道。
山香、内河野生まれ、都甲にお嫁にきて、宇佐の地で亡くなった。名前が、“カメ”。
山香を出発、安心院を経てこの季節来たかった耶馬渓。岳切峠。
その途中に大事な神社を見つけた…藤群神社。
大きな樟の木、意味深い由緒書き。ハートが喜んだ。
安心院マチュピチュ。7福神とシュメールの巨岩群。玖珠へと繋がる。自然に導かれた玖珠の森地区。ここは以前、Hちゃんと磁場調整した夢の響きの場所、映像まで覚えてる。
自衛隊の演習場があるようでした。子どもたちが喧嘩しはじめる。闘いの波動。
迷彩服を来た人、異次元的な戦車。不思議な光景だった。前日、バーベキューをご一緒したSちゃんご一家のご主人のルーツも玖珠だそう。
森藩の城下町から見る不思議な山は、大岩扇山でした!
調べてみました。
http://blog.livedoor.jp/saima_kusu/archives/6964292.html
秀吉にかわいがられていた瀬戸内海・村上水軍の来島氏は関ヶ原の戦いにおいて西軍に属したが運よく取り潰しの難を逃れた。しかしその海軍力を削ぐため九州の山奥に移封された・・・それが現在の大分県玖珠町の森地区、森藩の誕生である。
森藩の殿様が参勤交代の時に使っていた道。参勤交代のルートは現三島公園から大岩扇山の南を通り日出生台、塚原を抜けて日出は豊岡の港へ。そこから瀬戸内を海路大阪へ、以後陸路江戸を目指す、だったそうです。
ちなみに森地区は森藩だったけど玖珠川を挟んだ玖珠地区は天領だったそうです!
以上引用終わり
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森地区の磁場調整後、心がすっきりしました。そこから浮羽に。そして仲間の方々からの応援メールを受けて、Hちゃんのおばあさまの地。(玖珠はお父様の地。)またF田さんのお母様の地でもある浮羽の自然を楽しみながら磁場調整。高良玉垂命がご祭神の石垣神社や、大きな宮地嶽神社、夕方暗くなりまでかすかな響きを繋ぎながら家族で回りました。ここは久留米なのだと。御幸通り、メッセージがブルードラゴンより届く、イシスさんのアシスト。
Hちゃんのご先祖さまのお墓があるとの事。時は夕暮れ。
ここを真ん中で繋ぐのはご本人だと思い、浮羽を後にしました。私たちにとっても特別な場所。
浮羽〜星野村。久留米。何度も行き来した光の道。
朝倉を通って、思い出深い東峰村を通過。昨年、仲間の方々とキャンプした場所。思い出すな〜 (2012/8/28ブログへ→宝珠山の星空で)
帰り道、嘉麻を通さなきゃと思った。ちゃんとわかっていたんだ!香春を通って小倉入り。
昨年のお盆、この場所、このライン。添田の高木神社を訪れています。
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満月の茶話会では…東北からの大きな光をまっすぐの届けてくれたK田さん、メッセンジャー。K田さんが奥州藤原氏にとりかかってくれた事が嬉しくてなりませんでした。
すでにK田さんが国東、宇佐に来て下さっている時から、次なる扉の準備はできていた。7月29日の星の配置後。
Yちゃんが落ち込んでいる時、セッション、磁場調整後、大きく動き出した。
そして今回、青森イエスキリストの墓、それと同時に私たちの熊本、有明海への旅。すべてが連動して。
Yちゃんの約束。そして来縄の土地、Yちゃんのお父様、お母様の光の要請…
すべてすべて、始まりと終わりが同時になって来ている今。反転の摂理。
小郡の磁場調整は大きかったですね。
すでに…茶話会直後、博多への旅の最大ミッション。蒙古襲来、フビライ。シリウスの母船。映画の上映会。皆、合致しています。契丹建国以前の輝き。そして鎌倉時代に相当する蒙古襲来。
母と何度もスピリチュアルな問答。私の中の必死で訴える存在。その救いの声が母船へと繋がった。ホテルのプール。博多湾で皆で泳いでいるような不思議な錯覚。あれだけ満月と稲妻を真近で体験させられるというのも面白い。母の魂はすべてわかっていて、私を通じて大事なメッセージをハートに落としたようだった。
苦しくも喜ばしい満月の晩だった。最善を尽くした。
インカ帝国展では、深く貴いメッセージをもらった。小さな小人。聖なる人々。集団アセンションというメッセージもあった。
キリスト教の功罪。スペイン人たちは最後の皇帝トゥパック・アマルは捕らえ、クスコで処刑した。ここにインカ帝国の政治的権威下でのスペインによる征服への抵抗は終結した。インカ帝国が倒れた後、新たなスペイン人の統治者たちは人々に厳しい苛政をしくとともに、彼らの伝統を抑圧した。私が大学の時、こだわったのは中南米史の光と闇。またその蓋をそっと開けたみたいに苦しいものが流れ込んでくるようだった。21日の満月で光にあげ、統合しました。
そしてインカ帝国展の隣、常設展にて思いがけずチベットの聖者、パドマサンババからのメッセージ。そこにあったのは篠栗から寄贈されたパドマサンババとその后、明妃の像。南蔵院チベット仏教コレクション。
また子どもたちが見て触って触れることの出来る楽器と玩具のコーナー。息子が馬頭琴を引き出してきっとスイッチが入ったらしい。その流れで蒙古の歴史に関する冊子を購入した。
満月の翌日は家族のハートがひとつに。筥崎宮、そして櫛田神社の前を何度も、またハートの閃きにしたがい、箱崎、香椎(Yちゃんのご両親)和白、新宮へのショートトリップ。
最後の磯崎神社にて、神宮は新宮に転じたことを確認する。対馬や壱岐との繋がり。仲間の方々を意識する。
そして磁場調整から戻り、ホテルの部屋でほっとひといきついたあたりから、光の情報が注がれる。自らの闇を越え出て、光の保有率は格段に高まったようだった。自らを強くしてくれる抵抗の存在への感謝。まるでサタンの誘惑のような(笑)
ホテルの部屋でAさんのセッション依頼を受ける、Aさんこそ、パドマサンババの分け御霊を持つ方。深いところで理解している流れ。
金と東の奥義をさらにハートで理解する時。
帰りは飯塚経由で戻ると決めていました。迷いなく篠栗経由。
ここを通過しながら、母がいう言葉…ここは的を定めてまた来なさい…
10キロ離れた大分八幡には行けなかった。きっと次回に。
そして戻ると同時にAさんのセッション。ここまでの大きな流れを分かち合っている。違う場所ではN子ちゃん、YちゃんがH美ちゃんを起動させるお手伝い。H美ちゃんのセッションはちょうど熊本から戻った翌日。ハートは大きく開かれている。
この2人はシャンバラの使者。シリウスの長老。ともに以前のセッションやRアートで明示されている。H美ちゃんの怖れのリリースセッションでの言葉、タリム盆地。民族衣装。はっきり覚えている。まさにテンシャン山脈、ゴビ砂漠…あのあたり。
Aさんのセッションに戻る。彼女の血脈をハートで辿る。霊脈と血脈がハートで一致するところに私たちの真実がある。光の依頼者。私たちを手招きし、導く霊団は。
この日のメッセンジャーも彼女の義理のお母様(陳家)そして光の家族、またブルードラゴンの長男さん。木町の前に枝光諏訪付近、それ以前は飯塚の炭坑、そして遡ると、大分に上陸した祖先の方々… 篠栗の南蔵院にて祈念後、待望のご長男を授かったという。そしてその後、幾度か心に苦しみを抱えた時、篠栗のシャーマンの方を訪れている。
パドマサンババ、三位一体。彼女に最近伝えられたメッセージを丁寧に感じながら、素晴らしい共同創造後、幾つかのキーワードをしっかりハートに刻む。
飯塚の下山田に古川炭坑があり、今はないがそこに故郷からたくさんの方々が労働に来られていた…お亡くなりになる方も多かったという…
また幼い頃、蒙古襲来の授業、その後の同級生との喧嘩の思い出…自分自身の誇りやアイデンティティを深く意識するスイッチだったという。血脈の中にある深い願いや細胞に刻まれた記憶がこれほどまでに大事な心の叫びを呼び覚ますものだと最近、思い知っている…というコメントをくださった。今回も絶妙だった!
その日の夜に、Hちゃんちでのミーティングに顔をだす。彼女たちも絶妙なる采配を動く。ほんの少し先に同時に滞在していた流れ、志賀島、古賀、赤間…全員の父母や先祖の血脈。博多でN子ちゃんからすでに詳しく報告を戴いていたので、しっかり自覚しながら動けました。
篠栗南蔵院は彼女のお母様との特別な場所であり、彼女のハイヤーセルフはカーリーでダキニ天などの仲間。シヴァのエネルギー。他にも重要なメッセージを交換。Hちゃんが起動する、F田さんが起動することを伝えた。Sちゃんのお母さん、A井さんちに、この日に子どもたちは訪れている(沼、高蔵山)プレーパークを主催する仲間同士、子どもたちをいっしょに育んだふるいつながり。N子ちゃんが九州の地に戻り、動き出したことで絆の修復。
3月のマリアさん磁場調整の時を思い出す、Yちゃんの燃えるような光の意志。
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翌朝。N子ちゃんグループは篠栗、福岡磁場調整。降りしきる雨の中。素晴らしいミッションワーク。私たちは亀ちゃんのセッション。亀ちゃんがお盆後に体験した苦しくも必要だった先祖統合、ハート統合は、彼女には重要だった。私と全く同じ事を経験していた。スピリチュアルな孤独、疎外感…母との確執…ご主人との分離感。でもそれを本当に越えて理解出来た。上がり切っていなかった存在をともに上げた時、涙が堰を切って溢れた。
その後の光輝く笑顔。篠栗への思い出。亡くなられたお父様との繋がり。
篠栗にはたくさんの方々の魂の欠片が残っている。
まだ古いグリッドの時、解決することが難しかった、迷いの中にありながら、今に命を繋ごうをしたすべての父母。そしてその他、心に秘めてきた大事なこと、無視してきた感情をすっかり統合できたようである。
光そのものになるために見せてくれた試練。
その後、S宮さんとのハイアクセス。もちろん、篠栗は彼女のご主人の故郷そのもの。この意識で仲間の多くがこの土地を訪れることに深い歓びを示してくれました。
素晴らしいメッセージをくれた朝、私たちも篠栗へと向かっていました。
前回、セッションをした仲間の方々、K西さん〜S宮さん〜Aさん〜そしてHちゃん。別の次元でかけていた錠が外されました。結界が解かれました。
自らの意志で!バージョンアップ。
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馬の頭のメッセージはずっと続いていました。
シリウスのライオンゲートの解放の時期。熊本でも、それ以後も至る場所で。
N子ちゃんたちの篠栗磁場調整、馬頭観音の写真が送られてきました。
篠栗,南蔵院…
訪れてみると主人は思い出したようです。母に手をひかれて訪れていたときの事を。
母の名前とAさんのお名前は同じかずえさん。
南天稲荷には鬼子母神も。また毘沙門天…
不動明王信仰…主人の母が連れて行ってくれた風師山…
皆、主人にとっては母を思い出す周波数。不動明王が嫌いな時もあった…
生き別れになって、母は自分以外の子どもを他の人との間に設けた…そしてその子どもにも、こうという響きの名前をつけた。
越えたと思っても、まだまだ心の奥底にある思いの欠片…
七福神を通って、不動明王ワールド。滝があり、チベットの神々、シャンバラマスターの出迎え(笑)磐の上、たくさんの仏像。そして滝があり、弁財天が佇んでいる。光のマントラを唱えながら、ハートの奥深く繫がる。
仏教、信仰、人々の煩悩…いろいろなものが自分の中でリバースする。ここには奥深い世界。この境地にたどり着くために、たくさんの修行を重ねたのだ。
無駄なものは何もなかった。長きに渡る闘争、複雑に絡み合う想念、カルマ…
ここに到るまでに準備されてきた光のウエーライン。
いま、ようやくこの幸せを受け取ります!
馬頭観音菩薩
サンスクリット語のハヤグリーパの漢訳である馬頭大士、馬頭明王に由来する。
「目で見る仏像・観音菩薩」(3・田中義恭・星山晋也編 著、東京美術)では「古代インドでは悪蛇を退治するバイドウヴァ、太陽の車を動かすエータシャ等馬神の信仰やヴィシュヌ神が馬頭に化身する説話など、馬の 神格化や馬頭の威力の信仰が盛んで、それらが馬頭観音を成立させるもととなったといわれる」と述べている。
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パドマサンバヴァ(पद्मसंभव Padmasaṃbhava漢訳;蓮華生大師、padma 'byung gnas/pɛʔma tɕuŋnɛʔ/ペマ・チュンネー、8世紀後半頃)はチベットに密教をもたらした人物。チベットやブータンではグル・リンポチェ(gu ru rin po che)として知られる。チベット密教の開祖であり、ニンマ・パ(ニンマ派、漢訳;紅教)と呼称される宗派の創始者である。この「ニンマ・パ」とは、チベット語で「古い・宗派」を意味し「古派」とも訳される、これがチベット仏教における最初の宗派であることによる。
パドマサンバヴァ(サンスクリットで「蓮華に生じた者」の意)の名は、彼がウッディヤーナ(烏杖那国)―今日のパキスタン、スワート渓谷に当たる―のダナコーシャ湖(ダナコシ)の蓮の花の中から8歳の子供の姿で現れたという伝説に由来する。この不思議な子供は国王の養子に迎えられ、国政を委ねられたが、あるとき虚空に現れた金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)の教えを受け、出家して僧侶となり、後に密教行者となった。 釈迦の弟子のアーナンダ、シュリー・シンハなど、多くの偉大な師の下で修行して、密教の大成就者として有名になると、彼の神通力を聞いたチベットのティソン・デツェン王によってチベットに招かれ、土着の宗教であるボン教等を調伏し、チベット仏教の基礎を築いた。
布教の際には、時にはなだめ、時には驚かせるために8つの姿=グル・ツェンギェー(gu ru mtshan brgyad;蓮華生大師八大変化、漢訳は『蓮華生大師除障道』)を見せたと伝えられる。
また、パドマサンバヴァはサムイェー寺の建設に携わり、771年の落慶後、ヴィマラ・ミトラ、シャーンタラクシタ、ヴァイローツァナとともに、サンスクリット語からチベット語への仏教経典の翻訳事業を監督し、ティソン・デツェン王、イェシェ・ツォギャルを始めとする成就した25人の優れた弟子たちを育てた。
伝説によると、その後パドマサンバヴァは、高度なゾクチェンなどの教えを説いた多くの経典を弟子たちの心相続など様々な場所に「テルマ」(埋蔵経)として隠し、将来その教えを広めるのに最適な状況が整った時、彼らの化身が発掘するように封印して、チベットを去り羅刹国に向かったという。また、チベットでは今でもパドマサンバヴァが去った4月10日に大祭が行われている[1]。
真言はオム・ア・フム・ヴァジュラ・グル・ペマ・シディ・フム
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ボン教版グル・リンポチェ伝
ボン教の伝えるグル・リンポチェの生涯を書き留めたい。 1. シャンシュンという神の国に. 「勝利者を喜ばせるためすべての者が結集した地」がある。 その中心にあるのは成就の 宮殿、キュンルン・ングルカル、. すなわちガルダ谷の銀の城。 そこで玉座を継ぐ幸福 ...
mikiomiyamoto.bake-neko.net/bongururinpoche.htm
1.伝 記グル・リンポチェ伝記図 チベット仏教では解脱を成就したあかつき ...グル・リポンチェの仏記の一場面ずつを、一枚のタンカの中に部分部分に分けて画いた もので、英雄リンポチェの生涯を描いている。「伝記」と呼ばれる所以はここにある。中央 に座しているのが英雄グル・リンポチェ。両脇で蓮の花に座している美女は共に彼の 配偶 ...
www.geocities.jp/babasakikenji2012/0310_than.../txt_1.html
シリウスの母船、シャンバラマスターとのハートラインその2へ続く!!