光のレターその483(今日のレクチャー会ーもりのきみ) |
久しぶりに苅田方面を通り、「守の君(もりのきみ)」のことを思い出しました。
以下の方のブログより。http://tsurugine.blog.fc2.com/blog-entry-29.html
私のハートが感じたところを挙げてみます。
「石塚山古墳の前方部は、真東ではなく、南東を向いていた。
定規をあて、角度を測り、線を伸ばしたところ、約50キロ
離れた宇佐神宮の上を通過していた。
また、この線を、古墳と反対側の北西方向に伸ばすと、
700m先の宇原神社に行き当たった。
被葬者は、宇佐神宮の神に守られていた人物。」
「守君については、日本書紀に記録がある。
斉明4年 有間皇子謀反事件に連座して、守君大石、
坂井部連薬らが捕えられる。
斉明7年 百済救援軍の将軍として、守君大石らを派遣。
天智4年 守君大石らを大唐に派遣。
持統元年 守君苅田らを新羅に派遣。」
「守さんがおられる市町村は、苅田町が九州、西日本エリア
では最多であり、北九州市から、苅田町、行橋市、みやこ
町の範囲に集中している。
北九州市の守さんは、全て金毘羅山の東側、旧豊の国
エリアにお住まいであり、筑紫側には見当たらない。
宗像市にもおられるが、筑豊、筑後地方にはおられない。
大分県内はゼロ。」
「ニギハヤヒノ命が、大和に向かって豊の国を去った時、
残って守りを固めたのが、守君一族なのか。」
「九州内には、守さんの集まっておられる場所が、さらに
一ヵ所ある。
熊本県氷川町を中心とした、熊本市、宇城市、八代市の
エリア。」
「守君は、火の君と近親関係にあったと見る。
宇原神社の祭神は、ウガヤフキアエズノ命。
もしかすれば、守君・火の君が、大和王権と同格であることを
示唆しているのかもしれない。」
もりのきみ。光へ上がりますように。