オーバーソウルの光に…。 |
植樹祭の翌日、高熱を出しました。前日まではとても元気だったのに。
植樹祭の午後、草地という場所の藤原家のお墓に行き着き、私も主人も真玉の夕陽を浴びてしばらく泣きました。そしてお墓から大叔父に電話.「とき兄ちゃん、立派なお墓、びっくりした。ありがとうございます。」大叔父も嬉しかったようです。「康ちゃん、明日、康ちゃんのところに行くよ」と。20年振りに再会が果たせました。朝から娘の熱発。いつも丈夫な子なので、大丈夫だと思っていましたら、けっこう熱が高く、しんどい様子。久しぶりです。あっという間に39度を越えてしまいました。ハーブやレメディでいつものようにケア。途中、うなされていました。これは霊的な熱だなと感じます。
そして足立山の麓に当時住んでいた大叔父が到着。顔を見たとたん、全員、号泣。大叔父とは20年近く会っていませんでしたが、最後にお会いしたあの日のまま、本当に元気そうで、あのままの優しさ。主人の親戚の中でもとりわけ、ハート繫がる存在。とき伯父さんのことは私もしっかり刻印されていました。感激の再会は言葉を越えていました。
大叔父は開口一番、「なんで若い2人なのに、どうしてそんな事に興味を持つのか知りたかった…教えて欲しい」と云われました。私たちはありのまま、この土地に繫がったいきさつを話しました。大叔父の顔はもう、すべてを味わい尽くした柔和な僧侶のよう。ほう〜っと深くうなずいていました。
そして大叔父の人生、そして藤原家の事、お墓の中の存在…いろいろお聞きする事が出来ました。話を聴けば聞くほど。不思議な事ばかり。私たちをぎゅ〜っとたぐり寄せる力。
途中、何度もありがとうを言い合い、言葉を詰まらせ、泣きました。
これこそ、祖先霊が繫がり合わせた…歓喜の再会。どれだけ上の方で取り計らいがあったでしょう。移住1か月目、彼岸入りからちょうど7日を経て、到達したこの肉体次元での先祖のルーツ。
大叔父は主人の祖父の長男の子、9人兄弟の末っ子として産まれました。
また逆縁といい、親が亡くなってからこの世に生を受けたという試練を背負って育ったためか、子どもの頃から、人の気持ちがよくわかる、そして霊もよく見える人たちの中で育ったようです。
主人の曾祖父、浅市さんの思い出を聞くと、このように言ってくれました。「不平不満をひとつも言わないような人で、頭がいい人だった…読み書きを近所の人にも教えとったよ…字も達筆だった」と。
そして私たちが住み出した家の裏山(天神山)に2つに分けて先祖の古墓があったこと…そこが春日神社かもしれない、草地も春日で、春日神社とは藤原氏の祖先神です、と伝えると、目を輝かせていました。
国東半島自体が島原半島とは兄弟のような関係なのですって。豊後高田図書館で知りました。それを伝えると、大叔父の友人も島原の人が多いとの事。父の妹のふさえおばさんのご主人も島原の人です。
大叔父からは素晴らしいお話、人生の糧となるような教訓をたくさんお聴きすることが出来ました。
しかも古めかしい教訓ではない、いろいろなものを手放し、帰依している人の本物の輝きだった…
主人がこのような大叔父との再会を通じて、学ばされたものは計り知れないと思います。そして…見えない世界との繋がりを大事にしている、先祖のカルマを請け負ってよろこんで生きている姿…胸が熱くなり、私は生涯の中でも、昨日ほど嬉しい日はなかったと思えるほど、感動しました。
そして…私たちが感じてきたこと、すべて。大叔父の口から出てくる言葉すべてが、奇跡のように合致していました。メッセージ、サインはずっと受け取ってきた、感じてきたことは、私たちにとっての真実だったと。
草地のお墓の供養は、椿光寺、富貴寺、そして両子寺から3人のご住職さんを呼ばれて行ったようです。ここに移住してきて、富貴寺、両子寺…と少なくとも、現ご住職さんとお会いする機会をすでに与えられていることにも不思議なご縁を感じます。
また主人の曾祖母の家筋は、長安寺と関係がある家系なのだそう。これは初耳だったのですが、長安寺の前を通るたびに、私が主人に「ここは康ちゃんに関係深いんだと思う」と言い、移住後すぐに長安寺を訪れています。
康ちゃんの肩のところにカメさん(曾祖母)がおるよ…とニコニコされて云われました。私と主人は長安寺と聴いた瞬間に、理由もわからず泣きしばらく何も言えませんでした。
新城地域の鶴地区…ここだけは、屋山の加礼川の集落の鶴と繋がっているんよ、その言葉もなぜか、初めて聞くようには思いませんでした。全て知っている、何もかも。私の中にその存在がいます。ややま、かれがわ。最初からこの響きに懐かしさを感じていました。
まさに鶴と亀の統合ポイント!!
そして…大叔父の兄弟がほとんど、子どもを残していないこと…藤原家の方のカルマ的な側面をあらためて知りました。だからこそ、この土地で先祖にとっては宝のような子どもたちを育てる必要があったのだと、感じました。
この集落で今、よくして下さっている方々は、すべて大叔父の同級生で、それも不思議だと思いました。下の集落の伯父さん、此の家を紹介してくださったお二人も、また市長さんも、そして天念寺を案内してくれた方も。そして大叔父はいろいろな方々にとても愛されていると感じていました、また彼自身がこの土地をこよなく愛していることを理解しました。
5歳で母親と生き別れた主人の事を可愛がって育ててくれた主人の祖父については…祖父の最後の時期に、大叔父は祖父に「ときじ、国東にいっしょに帰るか」と言っていた事も教えてくれました。晩年、人は生まれたところに帰りたがる、鮭もそうやろ…とわかりやすく教えてくれました。
「そしてここ国東は本当にまじめで優しい人が多い、小倉も、もちろんいいところだけど、波動が粗い。人も粗い。」と笑いながら。大叔父も祖父もこの集落の人たちは早い段階で、小倉へ出ていった人たちが多いとの事…教えてくれました。
また、最後に、私たちがふともらした言葉に反応していくつか、教えてくれました。康ちゃんの祖先の父方は、この家を紹介してくれた自治会長さんの藤原さんと同じルーツだと思うよ。そっちの人がこちらの方に移ってきたとも聴いとう…とすれば、マナさんが紹介してくださった方(時おじさんの同級生)のお姉さん…とも繫がっていることになる。是非、その方にもお会いしたい…
またマナさん、に関係がある日出、日出といえば藤原という地名があるところ。私たちが数年前からよく行く大神ファーム(ハーブガーデン)も近くにあり、まない…という地名もある。このところ、日出の藤原…というのがずっと来ていて、何げなく大叔父に伝えると、神妙な顔をして、過去帳を見せてくれた。(大叔父は完全にチャネっています)
19歳で亡くなった大叔父のお兄さん。その方が亡くなったのは日出の藤原という場所で。大叔父の奥さんとお坊さんとで供養に行かれたそう。その場所で皆が咳のする響きを聞いた。結核を苦にして、家を出てゆき、1週間行き倒れになった…若い魂の存在。その人が亡くなった場所…日出の藤原。それがメッセージなんじゃないかと、霊能力のある大叔父の奥さんが言われていたそうです。そのことを私たちの話からも思い出したようです。
また豊前の長洲(宇佐)には本家があり…主人も主人の父もそこによく遊びに行っていた。写真を見せたら、そう、この人は、つくすさんの(祖父)のお姉さんよ、と教えてくれました。カメおばあちゃんを引き取ったところでもあり、晩年の5年間は曾祖父と曾祖母はやむおえず、離れて暮らしていたようです。曾祖父と曾祖母はともに90歳近くまで生きたようで、主人の生まれるちょうど1〜2年前にともに続いて亡くなった…と過去帳を見てわかりました。
ルーツの手がかりがかなり明確になりました。とにかく泣き笑い、ご先祖様もいろいろな存在もともに集い、融合できたような大叔父との再会でした.手を握り合って、再会を約束しました。見えなくなるまで、手を振りました。それだけで、涙、涙…なぜでしょう。
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大叔父が帰って、しばらくして、ようやく娘を抱きしめました。熱い息。熱がしっかり上がり切ったので、ハーブを飲ませました。汗がたくさん出ていましたが、途中、何度も夢を見て、おびえました。子どもを失った悲しみ…生きたいという願い、私たちの中の思い出が蘇るように、大きな恐怖を見ました。ミモザも恐怖を思い切り、手放しました。私も主人も子どもの頃、よくうなされていました。1週間前は息子、7日間を経て、今度は娘。大きな排出です。喜ぶ事でもあるのです。
昨晩はこんな状態であるのに、どうしても、母、仲間の2人、京都のN子ちゃんと電話する必要性を感じ、違う次元で起きていること…タイムラインの統合を加速させている別の自分自身もいました。
明け方、娘はまた、何度も飛び起きて、泣き叫びました。私たちはマントラを唱え、レメディを入れ、そして、ヒーリングしました。どんどん命が輝いてきています。すべて出し切って穏やかな眠り、朝を迎えました。もう大丈夫です。大きな闇を統合しました。娘との愛の絆がますます深まりました。この時期、必然でした。ありがとう。よく頑張ったね。
本当に本当に。7次元解除。まだまだ深く見せられます。
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以下は日出の藤原より…先日。2/24のブログ記事からの引用です。
豊後高田でお借りした、「大分の神々」を何気なく読んでいると、たくさん面白い事が書かれていました。
少し引用しておきます。
日出町藤原•和泉の水神社。無名ながらユニークな存在。
大分から日出の町を過ぎて藤原に入った最初のバス停が和泉。そこから三百米ほど入った山裾にわき水をたたえた小池があり、その中の島に瓦葺きの杜があり、御神体は泉そのものである。
日出町豊岡辻間の鏡神社
城内家の始祖を津島高春といい、藤原不比等の子の麿の隠し子と伝えられる。故あって、天平元年、宇佐を経てこの地にはいり、地頭となった。かねて都で親交のあった藤原広継が太宰府で兵をあげるにあたって高春に助けを求めたが断られた。
後年、高春の子孫がひろつぐの霊を鎮めるために小祠を建ててまつったのが、この社の起源であるという。
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日出には大神や、藤原という地名があるので以前から気になっていました。日出には縁があるので、もしかすると新たなルーツの発見へと繋がる扉があるかも知れないですね。真名井という地名もあります。
今日も、台所から裏山の竹の精霊たちのおしゃべりが聞こえ、井戸から感じられる存在…水の精霊かな。家事をしていると、何かいつも感じられる存在がいくつもあります。井戸はかなり深いので地下世界にも繋がっていますね。
そろそろ動きはじめる時。大きく融合する時。柔らかく、楽しみ、慈しみ合うことが何よりも大事。
それぞれが希望と奇跡の光に…ハート熱くしています。
(以上、引用終わり)
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気になるのは…日出町豊岡の八津島神社を創祭した、津島高春といい、藤原不比等の子の麿の隠し子と伝えられる存在、「宇佐高春」、「宇佐高春、日名子氏に伴いて、宇佐より下る。」と城内家文書に書かれているとのことです。
その2、オーバーソウルの光に…。へ続く!