ホの秘密 |
そして自分たちの卒業式のためにも。
何度も何度も次元移動。そのたびに新しく。
10代の子に導かれる、がキーワード。彼らは鍵を持っている。高く飛ぶための、翼の鍵を持っている。愛に満ち、優しく柔和でいるための鍵を持っている。
週末は…周防灘、古代の龍郷にハートで繋がる。青龍窟、水晶山。クリスタルグリッド。アカシックレコード。
戦い、傷つき分断していたーツインドラゴン。エジプトであり、ハワイの遺跡でもある平尾台で溶け合う。ほとんどの仲間が参加だそう。
10組は5日で自然に集まった。直結している時の流れ、力は要らない。
国東では両子山、ふたご。新しい子どもたち。
また春分の日の前後に、猪群山ストーンサークルに仲間と登山する…インスピレーション、御許山とハートで繋ぐイメージ。
大きく変化するエネルギー。細胞レベルで変わっている。
大分。大きく分かれる自分の周波数へと。それぞれのリアリティ。
見えない領域でも繋がり合ってきた、同士、仲間…北九州の同胞の方々。
京都奈良チーム、国東、manaさん…まだ未ぬ人々。女神、巫女チーム。
関東の原エツコ先生、真の自分自身を認めない限り、前へは進めないと教えてくれた。
7つの☆解除を経て、惑星意識を宿すヒカリノコドモタチ。
新生地球へと。ゆっくり丁寧に。
宇原、宇佐。宇部。徳山、姫島。伊予。蛇神、羽根ライン。ルート10〜真玉213。国東、東表国、シリウス、出エジプト。感じている、ムーゲート。周防灘の海底。三位一体、光の海。東の龍、青いキリスト。地球のマリア。
この海が原点。愛の泉。原は母。宇原(うばる)は宇宙のまんなか。うまれる。manaの龍。祝の星。それぞれの願いへと。
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その日はサロンワークもお休みにして、平尾台ワークに集中するようにしました。
私たちにとっては、ここから国東活動が本格的にはじまります。
1月の終わりに行かなかったのは、この時のため、だと。
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国東に移住して来て、毎日のように真玉に通っています。
12−12−12の大事な日も猪群山中腹の飯牟禮神社を訪れています。
宇佐ー御許ー大島ー宗像ミッションの直後も母を連れて、まさに登山道近くにあるスパランド真玉へ宿泊。
前回の満月も、その日の仲間の方々へのメッセージも。
猪群山で受け取り、発信しました。
御許山の山頂、大元神社にて、manaさんに、ここは猪群山ストーンサークルと向き合っているんだと教わり、やはり!と思いました。
思えば、ホ…を繋いできました。
振り返ってみると、夢で赤穂の葛を広めな…というガイドからはっきりしたメッセージを受けて、赤のつく土地に趣き、古代史と照らしあわせながら、磁場調整しながら。
赤穂、アメノホアカリ…実際、鹿児島や宮崎を訪れ、隼人の古代神と繋がってきました。
振り返ってみます。
blog.livedoor.jp/t_tera1040/archives/15133128.html より
神代の彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)-彦火明命(ヒコホアカリノミコト)の別名とも伝えられる-が、籠船にて龍宮(海神の宮)へ行かれたとの傳に依って籠宮と云う。2)主神-彦火明命(ヒコホアカリノミコト) またの名は、天火明命(アメノホアカリノミコト)・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日(ニギハヤヒ)命・又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり・・・・
といった風に書いてあります。
重要なポイントは、「籠船」、「龍宮(海神の宮)」などといった事に代表される「海」のイメージと、祭神のことでしょう。
彦火火出見命(古事記では火遠理命ホオリノミコト)は、一般には山幸彦(やまさちひこ)という名で知られている神武天皇の祖父に当たる神様です。彼は、魚を釣りに出たが、釣針を失い龍宮に行き、海神の娘豊玉姫(豊玉毘売命とよたまひめ)と結婚、釣針と潮盈珠(しおみちのたま)・潮乾珠(しおひのたま)を得て兄を降伏させるという「海幸山幸物語」の主人公です。これは、ちょっと浦島太郎にも似た話です。
また、ニギハヤヒというのは、神武天皇が東征した時に既に日本を統治していたとされる神様です。あまりはっきりした正体がわからないのですが、とても興味ふかい神様です。
尾張を統治した尾張氏は、彦火明命を祖としてその息子の天香語山命(アメノカゴヤマノミコト、あるいは天香久山命)と続き、彦火明命から数えて11代目の小止與命(または小登與-オトヨノミコト)が、実質的には尾張国初代の尾張国造に任命されて始まると言われています。
その子が建稲種命(タケイナダネノミコト)で、彼の妹-宮簀媛(ミヤズヒメ)は日本武尊(ヤマトタケル)の后になります(その東征に従い建稲種命は戦死します)。
ところで、本題の彦火明命-一般的には火明命(ホアカリノミコト)ですが、尾張氏がその子孫であるわけですから、関係した傳承が尾張の各神社に見られます。
まず、愛知県一宮市にある真清田神社(ますみだじんじゃ)は、ホアカリノミコトそのものを祭神としています。戦死した建稲種命は、愛知県春日井市内津町にある内津神社(うつつじんじゃ)に祀られています。愛知県犬山市にある国宝犬山城のすぐ下にある針綱神社(はりつなじんじゃ)の祭神は、天火明命から数えて14世の孫-尾治針名根連命(オハリハリナネムラジノミコト)です。尾治針名根連命は、名古屋市天白区にある針名神社にも祀られています。その親の尻綱根命(シリツナネノミコト)は、応神天皇の大臣となったということです。
日本書紀に「天火明命の児、天香語山は、これ尾張連らが遠祖なり」とあるように天香久山命は、ホアカリノミコトの子ですが天香久山という場所と尾張氏との関係の可能性を示しています。愛知県には香久山(日進市)という地名も存在します。
引用以上//
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昨年の終わりにずっと名古屋…尾張が来ていたのもうなずけます。
豊川稲荷に何度も期せずして、導かれました。
おそらく私の本流に、海神族の霊統というのがあるのでしょう。河野も、三浦も水軍です。
17才の頃、藤原さんの仲間に、リーディングをお願いした時に、母と娘の龍を描かれ、母と私のことを言われました。豊玉姫と玉依姫のようだと。そして昨年、青龍窟に原エツコ先生をお連れした時、同じように言われ、驚きました。
過去のブログを観て、やはり鶴と亀の封印解除が決定的でした!
ヒコホホデミーヨセフ
ヨセフーホセ
ホの秘密。
岐部神社近く、ペトロかすい岐部記念教会でも、ホ。
下記は、藤原氏の祖は?http://blog.goo.ne.jp/n_ishii517/e/3fae5cd3e353937d0da2c5b8a1dcf829より
フジワラとは朝鮮語のホゼワラから変化したものである。
ホゼとは百済の事を言う。
ワラとは倭国という意味がある。
故にホゼワラを日本語にすると「倭国の百済」と言う意味になる。
このホゼワラに和風の響きを持つ名を考えホゼにフジを、ワラにハラと言う漢字を当てたのが、‘藤原’であったと言う。
確かに日本語にはホゼもワラも無い音である。
`原'を漢和辞典で引いても`ワラ'という音は出ていない。
百済が新羅と戦った際、倭国は百済を応援したが白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れ、多くの百済難民が日本に来たのは歴史の事実である。
そして元々才覚のあった百済の王が、大和朝廷の臣下となってその力を発揮してホゼワラ(倭国の百済)に藤原という名を与えられた、と考えるのに無理は無い。春日大社(藤原氏の氏神とされる)参拝の折戴いた由来書の中に、「春日大社の主祭神が建御雷神(茨城県鹿島神宮の御祭神)であることから、藤原の祖は鹿島出身と考えられる」と書かれていたが、以上の話から藤原氏の祖は百済からの渡来人(亡命者)と考える方が妥当であろう。ちがった味方をすれば建御雷神が百済出身であったと想像する事もできる。
引用以上//
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以前のブログ記事に…豊前中臣氏はオフィル(東表国•国東ー豊前にまたがる千年王朝)の王族。金氏と同祖。(国東重藤遺跡で金の印)
武内宿禰は、金官加揶の王族だったといわれる説。許氏という名前。
九州古代王朝前期は、金官加耶と百済の王が交互におさめていたという説。
首露王(しゅろおう、수로왕)は、金官加羅国の始祖と伝えられている古代朝鮮半島の王で、金海金氏の始祖。首露王は158年間国を治めたとも伝えられている。妃は阿踰陀国の王女と伝わる許黄玉。首露(スロ)王姫の性は許(ホ)氏で名前は黃玉(ファンオッ)で知られていて全部で10人の子供を産んでその中に2人は母の性を受け継ぎ許(ホ)の性を名乗ったそうです。
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このことも、以前のブログ記事で詳しく書いています。
今日は検索する時間がないので、あげませんが。
また…ホ、ホゼアというのが来ています。
ホセア (イスラエル王)
ホセアは、北イスラエル王国の第19代、最後の王である。ホシェアとも表記される。
治世
紀元前731年にアッシリア王ティグラト・ピレセル3世の臣として王位についた。ホセアの支配圏はエフライムの高原地帯に限られていた。紀元前734年の戦いに敗北して以来、ガリラヤとヨルダンの東地域はアッシリアの支配下にあった。ティグラト・ピレセル3世はこの一連の西進でメギドを征服し、ガリラヤ地方の諸州の行政的首都として用いた。
紀元前727年にティグラト・ピレセル3世が死んだ時、その後継者のシャルマネセル5世が広大な領土を維持できないであろうと考えたホセアは、エジプトの支援を頼りにして貢納を停止した。しかし、シャルマネセル5世はイスラエルを攻撃して、紀元前725年にサマリヤを包囲した。ホセアは3年間アッシリア軍に抵抗したが、紀元前722年に降伏した。ここに北イスラエル王国は滅亡した。
紀元前720年、シャルマネセル5世が死去したためアッシリア軍が一時撤退すると、イスラエルでは王を戴かずに反乱が起こったが、シャルマネセル5世の後継者サルゴン2世によって平定された。
アッシリアの移住政策によって、イスラエル人はペルシア地方に連れて行かれた。アッシリアの碑文によると、サルゴン2世による捕囚は2万8千人近くに上った。代わってバビロンからの移民がサマリヤに定住して、旧北イスラエル王国はアッシリアの一属州になった。
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また別の資料によりますと…
下記は、http://tudoku.hope8.net/02/2012/11/15/2%E5%88%97%E7%8E%8B%E8%A8%9817%E7%AB%A0/より引用
ソロモン以降、北のイスラエルには、19代目の王ホセアが支配するようになった。聖書の著者は、彼について「主の目の前に悪を行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった」と評価する。つまり、ホセアはそれまでの王ように悪くはなかった、ということである。ということは、イスラエルが悪に悪を重ねて、末期症状でついにその王国の滅亡を迎えたというよりは、改善の兆しを迎えたところで神のさばきを受けたということにもなる。だが、事実はそうではないのだろう。すでに北イスラエルはことごとく弱体化し、アッシリヤに剥ぎ取られ貧しくなり、もはや悪を行い続けるだけの力もなくなったということであり、だから前の王のようではなかった、というに過ぎない。エネルギーを失い、おとなしくなった年寄りみたいなものである。実際ホセアにもはや戦略もえりえなかった。彼はアッシリヤに隷属しながら、もう一つのエジプトにも頼ろうとする。ぎりぎりの窮地にあって、彼は、然したる考えもなしに、何かはうまくいくとあれこれ試みる他なかったのだろう。アッシリヤの王は、サマリヤを占領し、イスラエルの人をアッシリヤに捕虜として捕らえ移し、それと引き換えてそこに、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムからの人々を連れて来て住まわせるという政策をとった。いわゆるアッシリヤ捕囚(BC722)である。
引用以上
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そう、昨年のメッセージ。天皇ーイスラエルー過ぎ越しのまつり
出エジプト、、最後の王。ホゼア。そしてヒゼキア。
国東仕事始めは、3月23日の両子寺植樹祭とその翌日からと感じています。
昨日、なぜか、衝動にかられて本を探していたら、あった!と、出てきました。やはり、やはり。
16菊家紋の超秘密より。
「天皇家と日本民族のルーツ」
国東半島の猪群山…その山にある神社では雨乞いの儀式に「蛇」を使用し、山上には巨石群(ストーンサークル)
目を引いたのは「蛇」についての記述です。古代ユダヤの話をする時には、「蛇」と「牛」に係わる話が出てきます。「祇園」の家紋の一つ、「祇園守り紋」にも「蛇」が描かれています。
イスラエル人がエジプト脱出後、荒野を彷徨していた時、多数の民が蛇に噛まれ、死傷するという事件があった。そこでモーセは、民を救うために、神の命令に従って「銅の蛇」を作り、 それを柱に取り付けた。蛇に噛まれた者がそれを見れば、その者は命拾いした(民数記21:9)。
この事件の後、この「銅の蛇」は、イスラエル人の中で保管された。 そして、後になってイスラエル人が堕落したとき、その「銅の蛇」は、偶像として崇拝されるようになった。それで、南ユダ王国のヒゼキア王は、前8世紀に、偶像崇拝を絶やすために、 その像を破壊した。聖書は、「ヒゼキア王は、かつてモーセが作った銅の蛇を粉々にした。 イスラエル人がそれに香を焚いていたからである」と記録している(列王下18:4)。
実は、この破壊よりも前の前722年に、イスラエルの十部族はアッシリアに流刑に処されている。
それで、十部族は流刑時にも、この「銅の蛇」崇拝の慣習を保持していたと思われる。
さて、大分県の猪群山の上にある神社では、40年前まで、ユニークな雨乞いの儀式が行なわれ ていた。その雨乞い儀式では、まず、6本の木の幹が組まれて、ダビデの紋章の形の土台(祭壇) が作られた。それから、その土台の上に、木の枝が積み重ねられて、塔が建てられた。そして、 その木の枝の塔のてっぺんに、蛇の抜け殻を絡ませた、垂直な棒が立てられた。人々は、その木の枝の塔を燃やし、雨乞いの祈りを捧げた。また、その蛇に香を捧げ、超自然的な力を求めた。
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ポイントは、北部九州の青龍王がハートで繋がり、許し合い、繋がること。
自分自身を認めない限り、前へは進めない。
今日、K西さんのご主人、1年に一度出てくる症状に見舞われたようです。
国東にいくたびに、大きなライオンの月。彼のハイヤーセルフ。
昨日、長男が歯が痛いというので、K西さんのご主人を思い出していた(歯医者さん)3時間くらい、痛がった後、急に治った。その後、一度も言わない。なんだったんだろうというくらいに。
たくさん、泣いた〜(その前日に犬のオルリーといっしょに明け方3時頃からしばらく、夢の中でも泣いていた。)新月の排出。犬も出る。ワオ〜ンと何度も泣いていました。
他にもいろいろ。
春分の日を前に、3月21日までに。大きく変化する。
これは今年はじめに来ていたメッセージ。
上記は粗書きです。小倉では、居候生活ゆえ、ごめんなさい。
おっ。法蓮上人もホですね。