同時進行 3月はじまりの真玉、姫島…光の軌道 |
ハートの中にしっかり入り、自分の願い、そしてハイヤーセルフの次元の願いを融合させながら、観ている。創造している。
春の息吹に満ちて。ただ心はいつにも増して軽くしなやかです。
3月1日に国東のmanaさんや、京都のマリアさんたち、そして仲間や家族と受け取った御許山での光。
あのやわらかな雨、安らいだ時間をいつでも思い出しています。グループワークの時に皆さんにシェアする時にも、瞬時にあの場所へとワープしています。
御神体の向こうから、カラスの声が「マナ、マナ」「マザーマザー」と聞こえた…
大きな手を広げて、母の、マリアの、グリーンターラの、地球の愛に大きく包まれた。みゆるし。
その後、大島、宗像…また北九州へと。3月4日、小倉では蒲生神社。守恒権現…へと。徳力、城野、足立山周辺を繋ぎ走り、国東へと母を連れて戻りました。
母とともに滞在したのは、やはり猪群山周辺。真玉海岸、長崎鼻、香々地、国見…最後は岐部の岐部神社周辺、ペトロ岐部カスイの記念館、マリア像へ。
どこへ連れて行っても母はハートがドキドキする…と深く感じているようでした。堅来徳光、三浦の周辺、粟島神社で観た大きな夕日。
この日の前の晩に、下の子が夢を観たそうです。「おばあちゃんが若い人と結婚する夢だった〜」
そう、母はようやく…結ばれたようです。訪れた神社には、母を愛した男性たちの名前や故郷のエネルギーが刻み込まれている。
そして母も旅をしている。ここへ来る前は兄のいる山口県美東へ。国東を経て、翌週は宇部へと。海を隔てて繋がっている土地です。
海は隔てているのではなく、繋がっているのですね。三浦という姓を持つ、母の父が育った徳山の地へとフェリーが出ている竹田津港。
宇部は母が東京(明治神宮外苑)、伊勢原の地から移り住んだ少女時代から縁深い土地です。
そして、国東半島に多く見る河野という姓は、母が最初に結婚して私たちを授かった、父の姓。私が4才の時に離婚しました。河野水軍、大三島神社(愛媛)の流れを持つ人々が多い土地です。この土地は私にとっても先祖の土地。
猪群山の飯牟禮神社は武内宿禰や河野氏の後裔の人々のゆかり深い神社のようであります。そこにも豊玉姫の伝承があります。
12−12−12に訪れています。
12−12−1の京都チームとの同時ワーク。猪野(伊野)皇大神宮で受けた光。香々地別宮八幡と繋がっていました。典子ちゃんが教えてくれました。
3月5日に訪れてきました。
別宮八幡社(べつぐうはちまんしゃ)は、大分県豊後高田市香々地に鎮座する神社。旧県社。
誉田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
宗像三女神
市杵嶋姫命(いきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たきつひめのみこと)
養老年間(717年 - 724年)に国東半島に設けられたとされる宇佐神宮の5つの別宮のひとつであり(天安2年(858年)創建説もある)、現存する4つの別宮の中でも随一の規模を誇る。
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日田の宮大工を棟梁として、地元の腕利き大工の協力を得て数年かけて完成したといわれる。荘厳な印象。彫り物がとても素晴らしい。
私には…別宮というのは、豊日別のお宮、東表国の神社、というエネルギーにも、感じられました。ここは長崎鼻、国東半島の北端付近、行者洞穴のある岬からそう離れていない場所にありました。
今年の1月5日に行き着き、大喜びしたところです。3月23日以降は菜の花畑が見頃。昨日(9日)からオノ•ヨーコのオブジェが公開されることになっていました。
そして…ここからさらに、海岸線を繋げて、伊美別宮八幡へと。
伊美別宮社
主祭神
品陀和気命(応神天皇)
帯中日子命(仲哀天皇)
息長帯比賣命(神功皇后)
伊美別宮社(いみべつぐうしゃ)は、大分県国東市国見町伊美に鎮座する神社。
社伝では、仁和2年(886年)、当時の領主片見貞信の命により、石清水八幡宮の分霊を奉持して創建されたとされる。その際、京都から分霊を持ち帰る途中の船が、嵐に遭って山口県熊毛郡上関町の祝島に漂着し(風待ちのために立ち寄ったとの説もある)、島人から厚いもてなしを受けた返礼に、五穀の種等を贈り、島の生活が豊かになったと伝えられている。
今でも、「お種戻し」と称して、毎年、祝島からの参拝が行われている。また、4年に1度、祝島で伊美別宮社の神体を迎えて大祭が開かれており、この神事は、山口県では「神舞」として無形民俗文化財に、大分県では「別宮社神舞行事」として選択無形民俗文化財にそれぞれ指定されている[1][2][3]。
また、10月15日の例大祭には、毎年、流鏑馬が行われる。文献によると平安時代には競馬が行われていたが、その後、流鏑馬に変化したと考えられ、宝永2年(1705年)には流鏑馬神事が恒例の行事となっていたとの記録がある。流鏑馬とその前日に舞われる神楽は、「別宮社流鏑馬」及び「別宮社神楽」として、それぞれ大分県の選択無形民俗文化財に指定されている[4][5][6]
境内には、国東半島最大で、2番目に古いとされる国東塔があり、大分県の有形文化財に指定されている。
この神社には以前、訪れたことがありました。けれど、このような意識で参拝するのは初めて。
母と主人とこの神社のご由緒書きのある看板を読んでいるだけで、3人とも胸がじんとしました。山口県、祝島との関係がとてもハートの響きました。
古代は多くの人々が海を行き来し、交流を経て来たことでしょう。以前、祖父のルーツを追って、徳山から柳井まで旅をした時のことが思い出されます。
そして典子ちゃんたちと行ったこれまでの同時ワーク、京都石清水八幡宮との深い繋がりも。ここから姫島が本当に近い、この姫島と祝島との関係もまた深く…
そして、姫島は古代天皇家にとって重要な拠点のひとつだった…
姫島はご承知の通り、黒曜石の有数な産地。姫島村内のヒメコソ神社、アカル姫という女神は古代史上、重要な人物。
下記はhttp://blogs.yahoo.co.jp/fumi32003/59658109.htmlより
●アカル姫とアメノヒボコ(古事記ではアカル姫とツヌガアラシトと表記)
日本書紀によると崇神天皇の時代に、韓半島から新羅の王子、アメノヒボコという男が、ひとりの女(アカル姫)を追って日本にやって来て、女と再会は果たせなかったが日本に帰化した、という話があります。
この2人は新羅では夫婦だったのですが、ある日アカル姫はアメノヒボコの傲慢な態度にあいそをつかし、ひとり小舟に乗り日本へ向かい難波(大阪)あるいは姫島へたどり着き、そこで暮らしたとあります。
アメノヒボコは逃げた妻を追いかけて日本までやってきたのですが、地元の神に妨害され難波(あるいは姫島)に上陸できず、各地を転々とした末、但馬(兵庫)に上陸し地元の豪族の娘と結婚し子孫を残した、とあります。
以上がアカル姫とアメノヒボコのお話しですが、なぜこの2人が天皇家にとって重要な人物なのかというと、アメノヒボコの子孫から神功皇后と応神天皇という2大スターが誕生するからです。
参考資料 古事記、日本書紀、三国遺事、先代旧事本記、播磨国風土記、姫島村ヒメコソ神社伝承、姫島村ホームページ
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黒曜石といえば、オブシディアン…ですね。
下記は、http://www.e-obs.com/heo/heodata/n600.htmより引用させて頂きました。
姫島 ( ひめしま)
黒曜石の島は地質の標本室
姫島は 国東半島 北端の伊美港の東北方6㎞の 周防灘(すおうなだ) に浮かぶ周囲17㎞の小さい島であるが、 黒曜石 をはじめ 化石 、 藍鉄鉱 の産出、 地層 と 火山岩 の分布、地層の 褶曲(しゅうきょく)構造 など、いろいろな地質現象が見られ、いわば島全体が地質の標本室ということができる。
〈火山活動によって生まれた島〉
まず、地質学と古 代史の上で姫島を代表するものは県指定天然記念物の黒曜石である。姫島の黒曜石は灰白色でガラス質、貝殻状の割れ口を呈し、古代において 石鏃(せきぞく) や 石斧(せきふ) など 石器 の材料として盛んに利用され、遠く山口県、愛媛県、豊前地方など瀬戸内海西部沿岸各地に運ばれたことが遺跡の発掘で確かめられている。全国的にみて黒曜石 は黒色のものが多いが姫島のものは灰白色半透明の点が特色であり、姫島西部の 観音崎 に大きな岩体をなして産出し、海に没する急崖をなしている。これは 流紋岩(りゅうもんがん) 質の溶岩が急に冷却されて生じたもので更新世後期の約34万年前の 火山活動 によるものである。
姫島には第四 紀更新世後期に火山活動がおこり、城山(62m)をはじめ 矢筈(やはず)岳 、 達磨(だるま)山 、 柱ヶ岳 、 明神山 などはその時にできた火山である。城山は流紋岩からなり観音崎の黒曜石に連続しているが、他の山はすべて 角閃石安山(かくせんせきあんざん)岩 からなる。城山は 豊後火山活動 ( 万年(はね)山系溶岩 )に属し、他の山は国東半島の 両子(ふたご)山 と同じ山陰系旧期火山活動に属する。島で最も高い山は矢筈岳(267m)で角閃石安山岩からなるドーム状の火山であり、島の中央部にある。
〈色々な地質標本〉
これらの火山岩の下位には更新世前〜中期の地層が発達し 姫島累層 とよばれる。これはさらに古い方から 丸石鼻層 、 唐戸層 に分けられている。丸石鼻層は島の南と北に分布し、 凝灰角礫(ぎょうかいかくれき)岩 と 凝灰岩 を主としている。唐戸層は丸石鼻層の東側と西側に分布し、 砂岩 と 泥岩 の互層からなる大海地区では地層の褶曲構造が多く発達し、海岸の崖に大規模な褶曲の露頭が見られ県 天然記念物 に指定されている。さらにこの海岸には南北方向の断層も見られる。唐戸層の泥岩からなる島の西端のス鼻の海底から藍鉄鉱が産出する。これは青藍色〜青色を 呈し放射状の鉱物集合体からなる球状あるいは棒状の土状の鉱物で、化学成分は■■■■■である。泥岩中に含まれる化石の有機物中のリン酸塩が地層中の鉄分 と反応して生じたもので珍しい鉱物であることから県天然記念物に指定されている。
姫島から 象 の 化石 が産出したことはよく知られている。まず昭和30年(1955)に島の西端ス鼻の海底から ナウマンゾウ の臼歯や骨の化石が発見されたが、海底に分布する唐戸層の泥岩中に含まれていたものと考えられており、時代は更新世中〜後期である。同じころ丸石鼻の海底 の丸石鼻層から アカシゾウ の臼歯や骨が発見されたがこれは前述のナウマンゾウより古く更新世前期である。これらの象化石は姫島の離島センターに保管されている。
象の化石の他にも唐戸と西浦の唐戸層の砂岩と泥岩層から次のような 二枚貝 の化石が産出するがいずれも殻が熔けてしまいモールド(内型)として化石になっている。
イタヤ貝 科:Chlamys irregularis , Pecten albicans
フネガイ 科:Anadara broughtoni
マテガイ 科:Solen sp.
マルスダレ貝 科:Pitar sp., Paphia sp.
産出量は少ないが特異な鉱物として、矢筈岳西部、達磨山の黒色ガラス岩中に副成分として微細な硬石膏が含まれており、また両瀬の角閃石安山岩中に ハンレイ岩 質の包有物が含まれている。
[日高 稔]
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また姫島といえば、伊都国の姫島との関係も。
しっかり書かれているブログもあるので、参考にされてください。
今後、少しづつ深めてゆきたいと思います。夏には典子ちゃん、ひとみちゃんたちが壱岐への旅を予定していると聞いています。そことも繋がってきそうです。
私たちがずっと響きを追いかけてきた、キ。姫島の姫はキでもあります。
この国東へ節目節目に訪れていた、さらなる魂の衝動が、この姫島に深く繋がっているようでなりません。
妙見王女…の存在も大きくなってきました。
さて…旅は同時進行でまだまだ続いています。