美の朝焼けを通ってのみ… |
この時期ならではの素晴らしい癒しと統合が起き続けています…
数日前に、強くメッセージが入ってきた場所、
大分県の津久見湾、豊後大野周辺へと旅してきました。
20日の大事な日に、六芒星とイルカのビジョン…
海のポーターゲートオープン…のミッションを家族4人で遂行出来ました。
今日もまた、思いがけず、素晴らしいギフトを受け取りました。
昨晩はなぜか心が高ぶっていて、2人とも眠れませんでした。私は一度寝付いて、1時間ほどで穏やかなチャクラスピンがあり、しっかり目覚めてしまいました。浅い眠りのまま、朝を迎えました。夜明け前、5時に家を出ました。まだ夜空に星が瞬いていました。
火曜日から下の子の体調が崩れはじめ、微熱が出て、咳をし始めました。今朝は車の中でかなり咳き込みましたが、一度吐いてしまうとすっきりしたようです。ずっと抱いてヒーリングしていました、宇佐を通過する時、私自身がちょっとぐったり気味。
けれど、息子は胸の中ですやすや眠ってくれて、ずいぶん落ち着きました。別府湾からの眺めもとても神秘的でした。
「ただ美の朝焼けを通ってのみ、お前は認識の国に到るのだ…」R•シュタイナーの言葉を思い出していました。
あっという間に西寒田神社(ささむた)へ到着しました。
チューニング中だったのですね…
また子どもはヒーリングに即、反応してくれます。
この神社については先日、大分からめぐちゃんが来てくれた時に、めぐちゃんが最近行かれた神社ということで気になっていました。(ブログにもあげています)
早朝の景色。霜が降りています。すごく寒い…。さすが、寒田という名前通り。
私自身、磁場調整ところではなく(笑)エネルギー補充が必要でした。藤原さん、凄く元気です。
素晴らしい聖地。神社の前には川が流れています。風格ある神社でした。
ご祭神は武内宿禰さんと光のスピリチュアルファミリーの方々のようです。
寒い…という印象が一番で、あまり細部は覚えていませんが、ここから今日の旅が始まる…ということで、しっかりお参りしました!
ご祭神などは以前、ブログにも詳しくあげています。
今日は本当は豊後大野周辺に行く流れではなかったのです。豊後大野となると日帰りではちょっと無理…と藤原さんに言われていました。
だから、津久見湾周辺の海岸ラインに限定して訪れるつもりでいました。
けれど、昨日、香春の古宮神社近くにお住まいの15年来の方がサロンに来られ、大分のことを藤原さんがその方に話したら、その方は普段のんびりした若い方なのですが、急に豊後大野のことを勢いよく話し始めました。しかも、その地域の滝の話や龍の話、犬飼石仏etc、2〜3年前のエピソードなのに、名称などをすらすらと伝えてくれました。犬飼石仏に関しては、あまり人が行かれない場所のようで、ちょっとどんよりしてました…ということまで伝えてくれました。藤原さん、あらら…これは行かなくちゃということ?(笑)と判断したようです。
私が行きたいと思っていた姥岳大明神、穴森神社などは竹田のあたりで、もう地理的には阿蘇に近いことから、ここは今日は行かないことにして、10月に訪れた旧周芳の柳井市で最も心に残った般若寺に深くかかわる、般若姫のご両親(満野長者)→炭焼き五郎さんと玉津姫(大和の王族の娘)…そして般若姫を見初めた用明天皇とのロマンス、龍神伝説などで有名な般若姫の故郷、三重町へと立寄ました。
それからこのあたりは、鍾乳洞が多く、重要なクリスタルグリッドなのでした。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
大分県内の鍾乳洞
野津町の風連鍾乳洞 本匠村の小半鍾乳洞 三重町の稲積鍾乳洞が観光できます。狩生鍾乳洞は閉鎖されています。(中略) 大昔珊瑚などの死骸が数千万年の長い時間をかけて堆積して石灰石がプレートの移動により隆起して出来たということらしいです。大分県の石灰石の産出量はダントツの日本一です。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
竹田の姥岳大明神、穴森神社は蛇年の来年早々にでも出かけることにしましょう。
祖母山のエネルギーです。
ということで、犬飼石仏、三重町蓮城寺周辺、野津の風連鍾乳洞付近を訪れました。
とはいっても午前中、私はものすごい眠気に襲われ、凄いチューニングでした。そして夢の中で、以前、見た夢の光景をはっきりと思い出していました。2つの場面が同時に存在していました。過去生のように思います。
犬飼石仏なんて、藤原さんひとりが真剣に水をまき、磁場調整していました(笑)。私はものすごく眠くて、藤原さんに着きました…と言われて、降りて、又寝る…そんな感じでした。珍しいことです。
三重町蓮城寺周辺には沢山の史跡があります。金亀ケ渕、1000体の金色観音(薬師)内山観音、山王神社…
などをゆっくり見て回りました。
ようやく意識がはっきりグラウンディングしはじめたのは、津久見の赤八幡神社くらいからです。
『赤』はその昔『閼伽』だったのですね。立派な造りの建造物です。
津久見は海部郡…アマベの集落だったと聞いています。
津守という人々がいた場所…
神武天皇も津久見に寄っているとわかりました。
お天気がとてもよくて、風は冷たいものの、日差しが温かく気持ちよい境内でした。
その流れで、直ぐ近くの大友宗麟の墓(宗麟公園)へとたどり着きました。
津久見は宗鱗終焉の地だったことを初めて知りました。
天正11年(1583)大友宗麟は津久見に切支丹天徳寺を建てて隠居し,信仰生活に入ったが,同15年島津 に敗れて没した。宗麟の死後200年を経た寛政年間(1789〜1801)に荒れはてていた墓を建て直したものと伝えられる。 昭和52年には建築家磯崎 新氏の設計のもと、キリスト教式の墓が建てられた。墓地公園では、春は桜、秋には紅葉と、四季折々の景観が楽しめる。…と観光案内にあります。
大分にルーツのある藤原さんはとくに、大友宗麟という人物にご縁があるように思えます。主人の祖父の故郷である、国東半島の都甲にもその後裔の方々がお住まいのようです。
宗鱗の胸像から、彼の雰囲気がよく伝わってきます…
音叉を響かせながら、公園を歩きました。
キリスト教王国建設を夢見て行なった破壊、戦い…
しかし聖人のような最後だったと書かれていました。
いま、ようやく多くの魂は真に光に帰り往く時を迎えているように思います。
伊予に最も近い…四浦、落ノ浦、赤崎アコウ樹へ続きます!