今日のドキュメント 赤い坂、赤い山…ほか |
実は、昨日のイベント中も、イベント後も、とてもKさんファミリーの存在を強く感じていたのです。(特にご主人の存在から放たれるものが大きかった)です。
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Kさんより
おはようございます。
昨日は、楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
実は、昨日つらいことがあり(3次元のことです)、家族で少し落ち込んでいたのですが、 少し元気になれました。
昨夜眠りしなに、「赤坂は山頂、とてもひりひりする…なぜ今まで気付かなかったのだろう。ここを上げなければ。」というような言葉というか、思いのようなものが、とても明確に心に入ってきました。
みこさんたちが、行ってくださったばかりの所ですが、私もすぐに行こうと思います。ではまた。いつもありがとうございます。
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そして今朝、サロンに来られた方々が言います、昨日の暴風雨はすごかったですね…
そうだったんだ…というくらい熟睡していましたが、治癒の光が部屋中に満ちていました。
あ、龍神さんが来てる。
龍神さんは次元間のエネルギーキーパーです。
そして、また仲間からのメッセージが続きます…
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S宮さんより
こんにちは。こちらこそ、ありがとうございました。
とても素敵な時間を過ごさせていただきました。
アルパカさんの歌が、素直に心に入ってきて涙が出そうでした。思わずCD買って帰りましたよ。(笑)
昨日の最後の瞑想の時に、シマウマのような模様が浮かんできました。そして、真実の光という言葉が響いてきました。
また後々、あぁこの事か、と解るんでしょうね。
帰りがけから雨が振りだし、夜中から今朝まですごい風雨でした。何となく締めくくりの章の幕開けかなと思いました。
私が、突然見えた映像や浮かんだ言葉を伝えた時に、いつも応えてくれてありがとうございます。
とても安心できるのです。また、いろいろお話しましょう。ありがとうございました。
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イシスmeさん
今、門司港です、バスに乗って、葛葉、手向山を通ります。
(数時間経過して)
バスに乗って魚町に戻り、Yさんに会いました。
前に赤坂に住んでいたそうです。ご自分にとっても、重たい場所だそうです。最近、行かれたばかりだそうです。
手向山といえば、山田緑地を思い出すそうです。ともに、弾薬庫があったから。バスで移動しながら、手向山や延命寺を意識しましたが、歩いてみないていけませんね。
それでは。
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Yさん
昨日は、素晴らしい時間をありがとうございました。
音楽、映像〜心にしみわたりました。
たくさんのご縁もいただきました。
感謝の気持ちで、あったかくなりました。
本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。
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午後から、亀ちゃんからのメール。
いま、曽根の浮津島神社です。天疫神社にも先ほどお参りしました。写真は後程送ります。
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そうそう、仲間の荒尾田Kさんも。先日、天役神社に(N子ちゃん要請の)参拝されたようです。
昨日のイベントの時にしきりに話してくれていました。
また、時を同じくして、昨日のイベントに来れなかった画家のMさんからメッセージが。ダウンしているそうです。
さきほどご主人がハーブ類を購入しに来てくれました。
そういえば、Mさんも、この曽根周辺の方です。
彼女からのメッセージです。
ご案内ありがとうございます。
一昨日夜から、風邪で昨日今日と家で休んでいました。
だいぶ元気になったので、10日~11日への移行には、
意識を向けられそうです。
さきほどから、個展に行ってくださったAさんが、
メールで力強いメッセージを送ってくれています。
ご自分のインナーチャイルドが癒され、愛につつまれる。
そして、自身の大いなる存在尊厳の意識が覚醒するとのこと。
メッセージいただき、泣きました。
絵のメッセージでそう感じていただけるということは、
私も同じような、大いなる存在意識であるということだからです。
愛されてないと叫んでないで、
そちらに意識のスイッチを入れなさいということだと感じました。
いつもありがとうございます。
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そしてすぐに亀ちゃんがお米を買いに来てくれました…そしてメッセージも。
今日、以前からのり子ちゃん、ミカエさんが言われていた曽根の天疫神社と浮津島神社に行って来ました。天疫神社は、日豊本線の真ん前で、5分おき位に電車が行き来しているようなところでした。線路を挟んで隣に浮津島神社があるという感じで駐車場のフェンスに荒神の森古墳の看板がありました。
実は、さきほど、先日の新道寺の続きを感じていたところ。法円寺はもともと、丸山にあった…
で、丸山を探していましたら、新道寺ではなく、曽根の丸山に行き着きました。
のちほど。資料を掲載します。荒神森は以前から気になっていて、荒神森古墳もここと繫がっていることがわかり、
観音塚というのも気になります…
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そして…夕方からサロンには田川赤村の人、長尾徳吉の人などが来られました…
さて、一番最初の荒尾田のKさんのイベント終了後、寝がけに見た夢と言葉。
そして昨日の私の夢…峠…金色の蛾(燭天使セラフイームの象徴?)
また藤原さんの夢…赤い炎、鉄塔、にげまどう人々…
そして、昨日のイベント終了後、仲間の方々にしきりに、赤坂に住んでいる主人の友人からのメッセージ。
などを伝えていました。
そして上記はすべて、昨日、仲間の方々と話題にあがったあたり周辺です。
京都のN子ちゃんに関係するあたり、ですね。意味深い…
ということで、赤坂について再び。
延命寺はもともと、赤坂山頂にありました。
赤坂は小倉北区の東北端で門司区との区境に位置する。現在の赤坂の地形は、西側(小倉側)と東側(門司側)とで異なる。西側は延命寺川を中心とする扇状地の右岸から成り、かたや東側は足立山系を背とする丘陵地から成る。
現在赤坂は、小倉市 街地に近い順に(西から東へ)、1丁目が延命寺川沿いの扇状地、2丁目が扇状地並びに鳥越峠西側斜面から赤坂山(延命寺山、弾正山。かつて延命寺が置かれ ていた。現在の妙法寺付近)に続く丘陵地、3丁目が鳥越峠並びにここから赤坂山-手向山の間に下る小渓谷、4丁目が手向山となっており、これら1~4丁目 の北側を東西に走る国道3号を挟んだ北側の旧海岸線並びに埋立地(厳密には国道3号によって削り取られた手向山の海側にせり出したわずかな部分も含まれ る)が5丁目、5丁目のさらに北側を東西に走る国道199号を挟んださらに北側の埋立地が1965年(昭和40年)に完成した赤坂海岸である。
本来、江戸時代から1889年(明治22年)までの企救郡赤坂村があった場所は、延命寺川河口の海岸線一帯(主として現在の赤坂5丁目と高浜2丁目に相当する)であった。残る扇状地の大部分(主として現在の赤坂1丁目と2丁目の一部に相当する)はかつて富野村に属し、丘陵地(現在の赤坂3、4丁目に相当し、手向山も含まれる)は、かつて鳥越(とり越え)と呼ばれていた。現在、延命寺川の扇状地の右岸は赤坂に組み入れられており、川を挟んで赤坂と上富野が向かい合っている。また、鳥越も赤坂に組み入れられその地名は失われたが、北九州高速道路4号線のトンネル・鳥越隧道、同陸橋・鳥越橋、 西鉄バスの鳥越バス停(門司区西新町)などに名前が残されている。このように現在の赤坂は、かつての赤坂村、富野村(の延命寺川右岸)、ならびに鳥越から成っている。
足立山系の鳥越の丘陵地が手向山となって海岸に迫っている辺りは江戸時代まで交通の難所であった。このことは現在でも、小倉市街地と門司市街地とを結ぶ幹線のすべて(海側から順に国道199号、JR鹿児島本線、国道3号の手向山隧道、北九州高速道路4号線の鳥越隧道)が、手向山を南北に挟んだ直線にして約600メートルの距離に集中し、とくに山側の後二者はトンネルとなっていることから窺い知ることができる。しかも、かつては路面電車(旧西鉄北九州線)も国道3号の手向山隧道を通過しており、これは西鉄北九州線の唯一のトンネルであった。
また、赤坂の地名の由来は、鳥越峠の西側の斜面(現在は北九州市立桜丘小学校が建っている)がかつて赤土であり、これがかつて赤坂の渡し場のランドマーク(海から見た陸上の目印)であったという説が有力である。
赤坂山から鳥越峠に至る高台(現在の2~3丁目)は風光明媚で下関、彦島、巌流島、関門海峡、関門橋、壇ノ浦、響灘、小倉市街地、若戸大橋、皿倉山、遠くに玄界灘を一望することができる(昭和40年代まで延命寺八景園という町名があった)。このように小倉の城下町を一望に見下ろす鳥越峠付近は地政学的に要害の地であり、長州戦争(小倉戦争、豊長戦争)における初期の激戦地となった(赤坂の戦い)。