オウコクヨミガエル …倉(くら)…明け(あけ)そして…ひみ/その2 |
大蔵の地は、主人の母の弟、おじさんが住んでいたエリア。
まだ20代最初の頃、いっしょに訪ねたことがあります。霊的な人だった…
ゴーストライターをしていた人。小さな家にひとりで暮らしていて、本がたくさんありました。(数冊、私にもくれました)
門司風師山に縁がある、主人の母系。
そして主人の母のもうひとりの兄妹の妹のご主人の兄妹が、皿倉の龍の◎◎ちゃんにあたります。
だからいとこではなく、鳩子ですね…この数日間で、奈良、皿倉、守恒(ここ)を何回も往復しています。
荒田尾在住のKさんは今週、出雲にいかれるそうです。八幡竹末には私の親友ー富山在住のKちゃん。
八幡の光が足りない…地の熱、足りない…はメッセージ。
大変スピリチュアルな場所、交通の要所、鉄の町、祇園の町…
ヤハタについて、詳しく書いて下さっている方のhpより…
八幡の宗教的背景に潜む南ユダ王国
八幡周辺の地名を地図で見ると、京都の地名を彷彿させる様々な名称が目につきます。 八幡の北東には天神、南西には幸神、南には神山町、そして東には山王と諏訪、西には東王子、西王子、南王子町など、神への信仰に纏わる地名が盛りだくさん です。そして町の中心には祇園と天神町があります。京都の祇園と同様に、「ギオン」という言葉のルーツは、イスラエルのシオンであると考えられます。ヘブライ語ではシオンを「ジィオン」と発音することから、その言葉は祇園の発音と酷似しています。それだけでなく、祇園祭りそのものに、イスラエル文化との関連性を多く見出せることにも注目です。八幡には、イスラエルの南ユダ王国から渡来してきた民との関連性に繋がる、宗教文化的背景があるようです。
焦点はやはり、「八幡」(ヤハタ、ヤワタ)の読みです。その語源は、「八幡」とほぼ同じ発音を持つヘブライ語の(yehuda, ヤフダ)であると考えられます。「ヤフダ」は「ユダ族」、または「南ユダ王国の民」を意味するヘブライ語です。つまり、八幡はイスラエルから渡来してきた 南ユダ王国系の移民を象徴する言葉であったと考えられるのです。その結果、ユダ族の王系一族が倭国へ渡来した後、列島内にて拠点とされた地域の数々は八幡 (ヤハタ)という名称で呼ばれたのでしょう。それらを代表する町が、北九州八幡、及び京都の八幡市です。そしてユダ族の神を祀るため、大陸を横断してきた イスラエルの南ユダ王国系の民は、それぞれの拠点において八幡神社が造営し、いつしか倭国という新天地においても神を祀ることを大切な文化として継承して いったのです。
その一つが北九州八幡に建立された豊山八幡神社です。神功皇后がこの地を訪ねてこられた際、八幡に本拠地を構えていた岡県主熊鰐が、宮にて真榊と呼ばれ る祭壇の左右に立てる祭具の枝に鏡、剣、瓊の三つの宝を掛けて皇后をお迎えしたと言われています。そして神功皇后が三韓征伐の戦いを終えて後、応神天皇を 出産された際に、熊鰐が応神天皇に御衣を献上したことを喜ばれた皇后が、天下豊成らんことを祈念され、豊山と名付けたとも言われています。その後、飛鳥時 代より八幡大神が祀られるようになり、平安時代になると豊山八幡神社は現在の豊山の地に移されたのです。
ここで注目したいことは、鰐が生息することのない地域であるにも関わらず、八幡の岡県主の祖が「熊鰐」(ワニ)と呼ばれるだけでなく、「鰐」と同様に獰 猛な「熊」という漢字を並べて、それを「ワニ」と当てて呼ぶことです。この奇妙な当て字の理由は何でしょうか。その答えはイスラエルにて祭司の務めを取り 仕切っていたレビ族の民にあるようです。古代、日本列島に到来した南ユダ王国の民には、神殿にて仕えていたレビ族の子孫が数多く同行してきました。レビ族 には神殿に関するあらゆる任務が割り振られていたことから、民が移動する場合は必ず一緒に旅をしたのです。旧約聖書の歴代誌上6章には、神の「契約の箱」 が安置されてから、ソロモンがエルサレムに神殿を造営するまでの間、幕屋と呼ばれた神殿において詠唱者の任務に就いた聖職者と、その子孫が列記されていま す。その詠唱者として就任したのが前述したケハトとその子孫であり、その中に「バニ」の家系が含まれているのです。レビ族のバニは、ヘブライ語で(bani、バニ)と書きます。バニは、エルサレムの城壁を修復したり(ネヘミヤ3章17節)、神の律法を翻訳して民衆に説明するレビ人(ネヘミヤ8章7節)としても、聖書に登場します。その「バニ」というレビ族の名前が「ワニ」の正体ではないかと考えられます。
「バニ」は、他の南ユダ王国の部族やレビ族の兄弟らに先行して日本各地に拠点を設け、そこに「鰐」という地名を自らの拠点の証として残したのでしょう。 例えば、対馬の北方、朝鮮半島に最も近い鰐浦もその一例です。こうしてレビ族は列島各地に「鰐族」の拠点を設け、「鰐」の地名をもってその存在が知られる ようになったのです。こうしてユダ族の八幡(ヤフダ)と、共に渡来したレビ族の熊鰐(バニ)のコラボレーションを、古代史の流れの中に垣間見ることができ るのです。(以上、引用終わり)
皿倉山についても詳しく書かれています。
ソロモン王とは、大国主(大物主)と同神だそうです。
*上記の豊山八幡神社へは、5月に訪れています。
(5月 14日/八幡の天神様…豊山八幡宮、八剱神社)
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小倉から大蔵、皿倉をハートでしっかり繋いで、くらじの国…鞍手へ。(高倉下…くらじさん)
どしゃぶりの雨の中、龍の背中に乗って。車中は明るい笑顔こぼれます。
八幡、直方、鞍手…繋いで。
目的ポイントは、飯塚、宗像、鞍手の分岐ポイント、重要な宮若エリアへ。
富地原(ふじわら)という地名も近くです。
目指すは、2つの大三輪を繋いでいる期間に飛び込んできた…4人の縄文巫女。メッセンジャーからの伝言の地。
時間的に早い順番から。
足立山周辺在住(久留米出身)の巫女Tさん。
長崎在住(鹿児島、鞍手ゆかり)の巫女Cさん。
皿倉山在住(藤原さん鳩子)の巫女Aさん。
そしてもうひとりは、香椎宮近く在住(北九州ルーツ)の巫女Gさん。
4人にはある共通している特徴があります。
ついこの頃まで、まだまだ自分自身に許可していなかった…
巫女のハートトラウマがある、大物主の封印とともに飛び込んできた…
とてもピュア、とても美しい。
ニギハヤヒ…の封印を開ける人たち。
あ、4匹のトカゲでもありますね。
(香椎宮の巫女のセッション直後に窓に4匹のトカゲ)
メッセンジャーからの要請を受けて、光の波に乗って、宮若穂掛神社へ。
宮若市になったのは、ついほんの最近の事。ここは融合点。
またさらに雨脚が強まります。
磁場調整の前日に、ここが今日の重要ポイントだということをわかっていました。
上記の方々がメッセンジャーとして来ていたから、そしてそのメッセージを暗号を解くように、結びつけたのは、ハイヤーセルフの共同作業。
振り返ってメッセージを繋いでみましょう。
平行して、各地の仲間たちが、それぞれにしか出来ない動きをしています。
知らないところで、それぞれが呼吸をするように、ごくあたりまえに、命を繋いでいる…影と光。
裏と表。絶妙なる仕掛け。
ですから、ここでお知らせすることは気づき…いつも誰かにアシストされていますよ。
あなたひとりではない…というメッセージ。
どの人も同様に、自分自身を生きている…光の使命を生きている…
Tさんから
9月1日…
みこさん、藤原さん、こんにちは。
ごぶさたしています。いつも、メッセージ、ありがとうございます。
私は元気にしています。
先日、思いがけずに、宮若の穂掛神社というところにたどりつき、それから、穂掛神社とトラークルさんが、常に心にある、という毎日です。
穂掛神社、どうしても近寄れず、まわりで私なりに地場調整してみましたが、うまくできず、変化なく。
どうしたらよいか、お尋ねしたかったのです。
の後、たぶん古い、性的なことでの悲しい思いが浮上しました。でもこれもどうしたらよいか、わからず…。
海の恐怖も、時々蘇ります。
Gさんから
こんばんは!
今日は祖母の49日で、今日も北九州へ行きました。そこで「佐世保」から「龍」が来ていました。
そして実は昨日のセッションで最後のワークをしたとき
「オウコクガヨミガエル」とハートが言っていました。
「なんのオウコクやねん!」ってまた思いました・・・(苦笑)
そしてここ何日か私の中にずっとあった「あけ」という響き。
お店から出て目の前のアパートにその「あけ」はありました。
(コーポあけみかな?「み」の字がなくなってて、「あけ」になってました。)
そしてトラークルハウスさんのブログの中にあった「世界中に仲間がいますよ」の言葉。
まさにその通りです。
私はタヒチへ行って、その仲間たちがこれから日本へやっと帰ってくる、あるいは訪れるのだと熱く思いました。
それは時空やかたちあるものを超えた、古くも新しい出会いかと思います。
私はその訪問を本当に心から「おかえり」と迎えられる場所を作りたいと思いました。
でも「そんなん無理よ〜、あはは〜」と言っている自分もいます(笑)
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穂掛神社があるといわれる千石渓へ。
ここはひもろぎ逍遥さんのブログがなかったら、たどり着けていない神社です。
ひもろぎ逍遥さんも、2回目でようやくたどり着いたと書かれていました。
「いこいの里 千石」として整備されているキャンプ場、その中にある!
カーナビにも指標が出ず、少し迷いつつ到着。
八木山川が流れ、力丸ダム、美しい渓流。
このところ、繋いだばかりの地、飯塚方面へと繋がります。
雨がまた一段と強く…ここは格別の聖地とわかります。
皆さん、肌で感じています。清らかな静かな聖地独特のエネルギー。足下からメッセージが。
今日はどうしてもマントラが必要。
そして、わかってほしい、知ってほしい、ずっと佇んで滞在してほしい…
雨の響きの中でエジプトのマントラや弁財天のマントラ…アセンションマントラを唱えます。
今日はTさんのお子さんをはじめ、特別に雨を降らせる女たち…(笑)が3名います。
早々近づけない…は敏感な人であれば当たり前の反応なのかも知れません。
降りそうにない雨とはやる心。カラスのなき声が聞こえて、もうすぐ止むかなと思いましたが、
雨の中、穂掛神社へ。カッパを着て鳥居をくぐります。
あらら…ここはもうキャンプ場と一体化している…なんか変。
もう神社の形がほとんどない…
キャンプをしている若者たちのグループが一組いました。
カッパを着て雨の中訪れた私たちの事も奇異に映ったことでしょう。
お互いにきょとんとしていました…(笑)
ひもろぎ逍遥さんのブログを見てみますね…(感謝)長いので抜粋しています。
ここで、前に紹介した天照神社の由来を思い出しましょう。
天照神社の由来は、貝原益軒著の「鞍手郡磯光神社縁起」によれば、饒速日尊が垂仁 天皇16年に宮田町の南に聳える笠置山頂(425m)に降臨し、同77年に笠置山頂に奉仕した事に始まります。その後、千石穂掛谷、明野(脇野)と移り、 延慶元年(1308年)に、白き鶴の住む里に廟を遷すべしとの神託があり、西国探題惣政所(そうまんどころ)玄朝(げんちょう)の造営により、現在地に移 されました。
ニキ゛ハヤヒが笠置山頂に降臨して、千石穂掛谷に移ったとありますが、
ここがその「千石穂掛谷」になります。
この近くに笠置山の登山口があり、一時間ほどで登る事が出来ます。
それにしても、何と奥深い所でしょうか。
現代は道も整備されて、車で難なく来られますが、
かつては、渓流沿いに数日歩かないと辿り着かないような場所です。
その為に神社が麓へ麓へと降りて行きましたが、その事情を貝原益軒が書いています。
この御神霊は垂仁天皇16年に初めて笠城山のふもとに降り、長屋山筒男という人に託宣しました。その人は大神の勅命を受けて、その笠城山のふもとの川でしばしば人に災いした大きなナマス゛を切って災難を除いたという事です。
八剣大神という神がこの辺り8か所に鎮座するのもこの時、大神が授けた剣を収めた所です。
その後60年過ぎて、同じ帝77年の春、笠城山の上に初めて神殿を作って崇めました。秋ごとに初めて刈り取った稲の初穂を大神に奉納しました。秋の収穫の 頃、民は暇がなくて峰の上まで登山するのに困っていたので、麓の谷に稲の穂を掛けて奉ったので、その谷を穂掛谷と名付けました。今佛谷というのは訛ってい るのです。
その後、允恭天皇の御世にこの社(頂上)が野火に焼けてしまいました。人里から離れているのでこんな災いがあるのだろう。老人や子供たちが高い山に登るの も難行だしと言って、麓にある穂掛谷にあらためて作って移しました。その時、数千の石を集めてその上に神殿を建てたので、千石原と言うようになりました。
今いる所は稲の穂を掛けた事から穂掛神社と名がついて、
数千の石を集めて神殿を建てたと言い伝えていました。
今でも千石の地名が残っているんですね。
神殿を背中にして境内を撮りました。ハ゛ンカ゛ローになっていました。
こんな聖地に泊まって見る夢はどんな夢だろうと思いましたが、
あと数十年すればこれらは朽ち果ててしまいます。
その時、もとの聖地に復元出来るのだろうか。
ここが日本の神話の謎を解く重大な手掛かりを持つ聖地だと考える人なんて私ぐらいなんだろうかと思うと、さみしい感じがしました。
ありました!
橋を渡ってから再び神社を振り返りました。
ここが古代から聖地として祀られた理由がよく分かります。
いこいの里“千石”キャンフ゜場 宮若市公式HP
http://www.city.miyawaka.lg.jp/hp/page000001200/hpg000001181.htm[外部リンク]
抜粋以上//
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まさに同感です…
磯光の天照神社へは、5月29日の鞍手直方磁場調整にて、しっかりお参りしています。亀がたくさんいた神社です。
ここで、穂掛神社と天照神社が繫がるとは…
アメノホアカリとニギハヤヒとは、本当に同一人物なのか…古代史の大きな論点を考えるときに、こうした古い聖地にしか残されていない手がかり…暗号のごとく、にです。
ここで私自身が感じたことは、後にまた書きますが、訴えるように雨の中、聞いた声をハートに呼び覚ましています。
暗号に隠された本当の物語とは…
真の聖域とは今はもう形もない、笠城山の上の方にあった…古代の神殿だったのですね…
ご神体の霊気が、龍の気配がそこかしこに満ちている霊地
またすぐに子どもたちとともに、訪れたいと思いました。
ほかけ…あけの
5月に与えられたミッション。
赤穂のくずをひろめな…は、
穂にかけられた謎、穂掛神社で封印解く時、
戸はあけられる。明野(あけののち)にて。
アマテルとニギハヤヒの真実。
その3/明野の地…穂掛〜日吉〜竹原古墳 に続く…