ヨセフと大物主… |
大己貴神社(大神大明神社、おんがさま)を訪れて、いろいろな事があり、シンクロが続いている最中ですが、
ひとつ気になっていて、面白いことがありました。
朝倉から戻る最中も子どものケアに集中していたのですが、
家に着く直前に主人が誰かから電話がかかって、それでは11時に…と約束していました。
ええっ?こんな時間に誰か来るの?と聞くと、「うん、気にしなくていいよ、ヨセフさんが今日、どうしてもタイヤを交換したいので来てくれるそう。どんなに遅くなってもいいと言うから…」と言います。私はちんぷんかんぷん。そして車のメンテで、代車を出して下さって、今日も明日も来られます。
その代車が…育ての父を思い出させました…
ヨセフさんとは今年から車を通じてのご縁。ロシア系の方で、まるで天使のような存在。美しいオーラの方で、バイオリンを習っていたり、いつかも仲間のMさんの個展が福岡であっている時にも是非に!と声をかけていましたところ、すぐに駆けつけてくださって、偶然、ロビーで会いました。
なんで、今日の最後にヨセフさんなんだろう…と思っていましたが、
大己貴と大穴、ヨセフとは意外にも縁が深いのです。
なんか、ヨセフさんがすべて、天界へと…運んでくれているようです。
また…大きなメッセージかもと思い、調べてみると以下のようなブログ記事に行き当たり、ハートに響きました。
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http://shinsengumi3.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=150674400&page=7より引用させていただきました
木村氏による「日本神話」「ギリシア神話」「聖書」の中の類似語や共通点
・スサノオの長髪=サムソンの長髪
・大国主の天の詔琴=ダビテの琴
・スサノオの生太刀と生弓矢=ヤコブの大刀と弓
(これを受けたのが大国主とヨセフで物語が一致)
・ヨセフはギリシア語で「吉兆・幸福」を意味するヨセモス→ヨセフス
・「大物主」は、無双唯一の大人物を意味する「オーモノス」
・大国主を救った「ネズミ」とダビテを救った「ヨナザン」の話が類似
(ヨナザン(Jonathan)は「潜伏」のギリシア語「ヨネゼン」で、ヨは「善」という意味の接頭語。
ナザン=ネゼンが「ネヅミ」に転訛し、繋げて「善き鼠」命拾いした潜伏場所)
・スサノオが大国主を黄泉比良坂まで追う=ヨセフの父ヤコブの将に死せんとする時
・宇都志国玉(ウツシクニタマ)=ウスス・コグニタム(Usus Cognitam)→正理よりするに非ず、実際上の事情よりして統治の意
(スサノオが大国主に「宇都志国玉の神となれ」と言ったのは、「葦原中国の仮の支配者になれ」という意味)
・大国主・大物主=ギリシア語の「オイコノモシ」(家宰・経済家の意)
・ヨセフスの「ヨウ」は「善良・豊富・人事・幸福」の意で、「善う・吉し」に通じ、「吉野」はギリシア名称のヨイノスに相当
・聖書でヨセフを「夢見る者」としているが、「夢」はギリシア語のヨメネース・ユメニア(恩恵・寛大・幸福・吉兆)が語源で、「ヨセフ=ユメニア」
「夢なる日本語がユダヤ綴音、ギリシャ綴音の中間に架橋して、その意味を通ぜるものにして、日本語の世界的言語研究の価値は、かくの如き点にも表はるるなり」
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下記は、http://www.avis.ne.jp/~qpress00/bun6-3.htmより引用させていただきました
日本語のサロン 第6の3回
日本古代語の意味③(48~82)
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48 高天原朝廷の大国主神に対する領土返還要求物語。これはギリシャ神話のヤソンがその叔父ペリアスに対して王位王笏の譲与を要求した話の別伝と考えら れる。大国主神の支配した領地は高天原朝廷の植民地=「根之堅洲国」であったから、支配権力の移譲を要求した行為は侵略ではない。この構造がギリシャ神話 と同一であることを木村氏は詳細に指摘する。核心は、根之堅洲国が「植民地」だという認識にある。
49 健御雷神と健御名方神の力比べの内容は一種のマジックで、アヤの王女メデア姫妖術の伝説がこれに重なっている。
50 八重事代主神(やえことしろぬし)=アヤ・キチソロスよりくる。アヤはギリシャ神話のアヤ国で、アヤ=やえ(八重)と通じ、アヤ国の二人の王子アルゴスとキチソロスのうち、キチソロス・Cytissoroslの転訛からCotosiro (事代)が出てくる。
51 〔物語のあらまし〕高天原が出雲の支配にのり出そうとしたとき、大国主神の勢力が「千早ぶる荒ぶる国神」を大勢抱えて反抗した。そのため豊葦原の水 穂の国は「いたくさやぎてありけり」だった。高天原は八百万の神を集めて思兼神を議長に衆議院会議を開き、まず「天菩比神」を遣わした。が敵に篭絡されて しまう。次いで「天若日子(あめわかひこ)」に「天のまかこ弓」と「天のはば矢」を与えて派遣した。派遣目的は軍事的な征伐ではなく、「その国の荒ぶる神 らを言向け和(や)はせ」という穏健なものだった。ところが彼は大国主神の女「下照姫」を妻にし出雲を高天原より横領しようとして8年間梨のつぶてをきめ こんだ。
高天原の衆議院は次に「雉名鳴女(きぎしななきめ)」を詰問に派遣した。彼女(女か雉か?)は天若日子の居宅の門になっている湯津楓の上にとまり命令さ れたとおりの詰問をした。然るに天若日子は「天佐具売」にそそのかされ、授けられた弓矢をもってその「雉」を射殺した。「その矢雉の胸より通りて逆に射上 げられて天の安河の河原に坐す天照大御神及び高木の神の御許に至りき。高木神その矢を投げ下し給へば天若日子の胸に当たりてみうせ(死)にき」。その雉も 帰らなかったことから、「雉の頓使ひ」(きぎしのひたつかい)という諺を残した。
天若日子の死を悼む下照姫の大きな泣声を聞いて一族郎党集まり、八日八夜哭き悲しんで「遊ぶ」のだが、この葬式に天若日子そっくりの友人「阿遅志貴(あ じしき)高日子根神」が参列する。皆の衆は死者が生き返ったと取りすがって喜ぶ。彼は「穢れた死者と取り違えるとはけしからん」と怒り喪屋を切り伏せ蹴と ばして帰った。そこが、美濃国の藍見川の川上の喪山だという。
こうして最後に健御雷神を「天の鳥船の神」と共に派遣することになる。
さて、この話に出てくるいくつかのユニークな固有名詞の淵源を木村はどう探ったか。
52 天若日子と下照姫=ギリシャ神話の「アモール彦」と「プシケー姫」に相応する。「アモール彦(Amor 一名エロースEros 一名キューピットCupid)は、常に弓矢と靱(ゆぎ)とを携え居る稚き小児姿の神にして、その発音のアモールは「あまわか」と相似、又、その小児なる点 は意味において稚子(ワカ)たるなり。」かつ天つ神が天若日子に弓矢を授けた点もキューピット扱い(矢の神)だ。下照姫がプシケー姫に似ているのは絶世の 美人ということで、天若日子がその任務を放棄するほどだったと読める。下照姫は一名高姫といい、宗像の神である。宗像とはギリァ語ムナ-或はムネ即ち〝記 憶・心意〟から来たもので、〝心意〟は別語でプシケーともいう。即ちプシケー=ムナー=宗像=下照姫と連動する。
53 阿遅志貴=「あぐしき」とはアポローン神の別名アレキシス(Alexis )のL音がぬけて転訛しアジシキ・アザシキ・アザスキ等ともよばれることになった。この神は加茂の神で、白羽の矢が神体である。
〈「このアモールとプシケーとの神話は西洋にあっては紀元2世紀のローマのプラトーン学者アプレウスの書に初めて出でしものにして、後代のものなるが如 し。然りと雖もその書となりしは仮令後代なりしと雖もその伝説は古より伝はり居りしものなるや必せり。かつ古事記の如き伝説も日本に伝はれるに由って観る 時に、この神話も又古代よりギリシャ・ラテン人種間に存したりといふも、決して誤りにはあらざるべし。」〉
54 雉名鳴女がとまった「湯津楓」=
この物語の背景にはギリのシャ神話の「イヨ姫とゼウス、ゼウスの正妻ヘーラ」の三角関係からくるヘーラの嫉妬の闘争の物語がある。
ヘーラにイヨの番衛を命ぜられた「全身に百眼をもつ怪物アルゴス」も欠かせない。……〔物語〕イナッホスなる河水の神アルゴスの女にイヨ姫なる美人がお り大神ゼウスの大いに愛するところとなった(このイヨが日本の伊豫の国名の本。故に伊豫を「愛媛」という)。ゼウスは嫉妬やきの妻ヘーラの目を誤魔化さん とイヨを雌牛に変えてしまう。その策略を知ったヘーラは雌牛を褒め揚げて貰い受け、牧場につなぎ怪物アルゴスに監視させ、機を見て雌牛を殺させようとし た。察知したゼウスはヘルメースを雇いアルゴスを殺して牛を解放した。ヘーラはやむなくアルゴスの記念としてその百眼を取り、雉子の羽翼に取りつけて紋に した。これを「アルゴスの雉子」という。
ヘーラは尚イヨを憎み、大きな虻を雌牛の耳に入れる。雌牛のイヨは日夜苦悶に耐えず、遂に海を渡って(この海をイヨニア海という)エジプトに逃がれる。 ゼウスはその地でイヨを人間に還し、イヨはその地の国王の妃となり、その後裔にペルセウス、ヘーラクレースといった英雄をもつ幸福な身となったというの だ。
「雉子」はアルゴスの百眼を紋にしているから、アルゴス死せる後、雉子が番衛者の役目をもつ。すなわち雉子は番衛者=監視者の代名詞として後世伝えられることになった。…桃太郎の雉子もその役目で登場する。
「湯津楓」(ユツカツラと一語に読む)=ギリシャ語の「ユスキアーゾ」:木陰深く繁れるの意味。「ユスコボス」:慧眼鋭利、注視、番衛、遠視、広目等の意味。この2語が湯津楓の語源と関連づけられる。すなわち湯津楓の漢字それぞれに意味はない。
【定説では、枝葉の繁っている楓、カツラ=香木の訓、ユツとは五百箇で数の多い意。「斎つ」・神聖なの意味にとる説もありとされている。】
〈定説はユツとカツラを別々に分解し意味を牽強付会したにすぎない。〉
55 きぎし=雉子ではない。実はいわゆる「白鳥」なるがごとし。
白鳥(英語でスワン)はギリシャ語で「キクノス、キグノス」という。ギリシャ神話で白鳥はアポローンの神鳥で、アポローンの神意を伝え、或は予言し或は詩興を与えその死ぬ時は最も楽しげに凱歌を歌う鳥なりとされている。
〈キギシという音の表す役割はこの白鳥・キグノスが正統であって、「雉」をあてたのははるかに古事記著作時代にすでに上古の真相が闇の中であったこと、 漢字の導入によって当て推量が横行する時代になったことを物語る。まして後世の解説学者が勝手な当て推量をして学者ぶるのもあわれなる必然現象というべき だろう。〉
56 ななきめ=ギリシャ語・マンチケーよりマニケー→ナニケーと転訛し、ナナキメを発生させた。この語の意味は「予言、神占」。したがって「きぎしななきめ」は「予言白鳥」を意味することになる。
他に「ななきめ」に近いギリシャ語に「ナウマキエー」(海軍、戦艦)がありギリシャの軍艦の舳先の装飾には雉或は白鳥の形をしたものが種々ある。白鳥で あるべきキギシが雉という漢字で受けとめられた背景に、ナナキメの語にこういう事情がこめられていたともいえる。又、高天原が大国主神に海軍を差し向けた という解釈も可能だとする。
【定説は「雉名鳴女」を「きぎし、名はなきめ」と読ませている。】
〈定説では、物語の前後の関係から、この大事なときにどうしていきなり雌の雉をもってきたのか、その関わり、必然が唐突にして不明。〉
57 天の「さぐめ」=書紀には天「探女」とあり、定説は「隠密のものを探り出す力を持った女」としているが、女ではない。ラテン語:サグム Sagum(サガ Saga, Sagus)よりくる。予言者、前見者等を意味する。このサグメから「相模(さがみ)」が由来する。
相模の枕詞を「さねさし」といい、雉の冠辞を「さぬつ鳥」という。この「さねさし」も「さねつ」も同一言語で、健康・自然・確実を意味するラテン語サヌスSanus 。英語のセーン sane はこれを語源としているがもとサネと発音したと思われる。
58 きぎしのひたつかい(雉の頓使)の「ひた(頓)」=地名のピチア Pythia:予言者の神アポローンの神殿の有る所よりくる。雉の頓使とはアポローンの神がピチアより使し給うた使者をいう。
【雉の性格から行ったきりで戻らない使いのこと、梨のつぶて。】
〈この定説では、諺が成立するのは事件があってからはるか後のことなのに古事記では直ちに事件を諺に仕立てあげるという不自然を犯していることに気がつ いていない。だからこの諺は流通していないのだろう。思うに、物語は使者としてのキギシが頓挫・失敗しただけのことだから、これ自体に教訓的な意味は何も ない。問題はこの「頓」に「ヒタ」の訓を押し付けた歴史の意味を察知できなければ字義未詳としておくべきだ。〉
59 高木の神=古事記では高御産巣日神の別名としているが、ではその別名の由来は何ぞや。これはギリシャ語のタキスよりタキ→タッキ→タカキと転訛した もの。意味は「迅速」でその象徴が鷹であった。ギリシャ神話では鷹(或は鷲)はゼウスの神鳥。ゼウスは天界第一の大神・日光の神・雷の神であるから、鷹は 「日光送達者の記号・雷光」としてのゼウスそのもの。すなわち天若日子は雷死させられたのである。
【本居流の注釈に拠る時は「高」は尊敬語なり「木」とは草木の「芽ぐみ」「角ぐみ」等の「ぐみ」より「ぐい」に又「ぎ」に転化したる「生産の初期」を謂うとなす。】
60 うしはく(汝がうしはける葦原の中つ国……)=ラテン語:ウススフルクツスususfructus よりの転訛。意味は、自己の所有でないものを使用しその利益を取得すること。現代的に解すれば、ロシヤ(ソ連)が日本の北方領土を不法占領している状態を さすことばである。
【本居は「うし」とは有すること、「はく」とは刀を佩くごとく身につけて持つことと解説した。これはしかし現代の定説に比べればまだ半分は正しい。 定説では万葉集9での使い方〝この山をうしはく神の……〟を鵜呑みにして、ウシハクという語の主体は常に神である、宗教的意義において神が治め、また占め る意、などといっている。古事記での使い方には全くヒットしていない。万葉人そのものが上古のいきさつから遠く離れてしまったが故に、この語の真意を恣意 的に解して使ったのである。その悪例の尻馬に乗って後追いをしただけのものが定説だ。】
61 あまのさかて(…即ちその船を踏み傾けて、天の逆手を青ふしがきに打ち成して、隠りき)=ギリシャ語:アネモスケテス(古代の船舷にある風防け)よ りくるもの。この文の意味は、船の風防を一種の障壁即ち青柴垣に打ち成し変形して…となる。「打ち成して」は手を打つことではなく、変形する・作り直すこ とだ。
【本居以来の解釈は…①逆手打つとは、順手に非ずして一種の呪を含む拍手の方法なり、掌背を打ち合わすことなり。②或は国を譲るにつきて下がり手を打つとは譲与を意味することを言うなり…と。】
62 八雲たつ出雲=ユダヤ経典のヤコモとイドムの兄弟に対応する言語。「やくもたつ」はギリシャ語のヨカマトス=「容易なる労働」、旧約書中のヤコモのその父イサクに対する労働の甚だ容易なものであったことの意味。イドムはイヅミとも言い、泉の音につながる。
63 須勢理媛(毘売)=スセリの名義はペルセウス神話中のセリホス島の名称から由来。セリホスはセイリオスとフアオスとの結合名称で、「炎熱を与ふる天 体の光輝即ちセリ星(Sirius星)」。須勢理媛は旧約書中のユダヤ王ソールのむすめミカルの役割と同じで、このミカルの語の意味もまたラテン語 Micare (光輝)である。
【須勢理毘売の名義未詳。】
64 大国主神を救った『ネズミ』とダビテを救った『ヨナザン』の話の重ね合うことから=ヨナザン(Jonathan)はギリシャ語のヨネゼンからの変体 で、意味は〝潜伏〟。ヨは〝善〟という意味の接頭語、ナザン・ネゼンからネヅミの音がでてくる。合して「よき鼠」……命拾いした格好の逃げ場所・潜伏所
65 須佐之男の長髪=サムソンの長髪と重なる。
66 大国主の天の詔琴=ダビテの琴。(ダビデの語音は大伴「旅人:ダビト」に残る。)
67 須佐が大国主を黄泉比良坂まで追い至る=ヨゼフの父ヤコブの将に死せんとする時
68 須佐の生太刀と生弓矢=ヤコブの大刀と弓。これを受けたもの片や大国主、旧約はヨセフ。物語りが重なりあってる。
69 ヨセフの名称の意義=ギリシャ語ヨセモス→ヨセフスよりくる。ヨセモスの意味は「吉兆・幸福・顕著」。旧約書でヨセフを「夢みる者」とあだ名してい るが、「夢」はギリシャ語ヨメネース・ユメニア(恩恵・寛大・幸福・吉兆等の意)からでており、ヨセフ=ユメニアと意味が同一。「ゆめ」の語源もこのユメ ニアにある。「ゆめ・夢なる日本語がユダヤ綴音、ギリシャ綴音の中間に架橋して、その意味を通ぜるものにして、日本語の世界的言語研究の価値は、かくの如 き点にも表はるるなり」と著者木村は指摘する。……「日本語〝いわしみず〟〝ゆしま〟も又このヨセモス或はユメニアに生づる」。
70 ヨセフスの「ヨゥ」は「善良・豊富・人事・幸福」の意を内包する。日本語の「善う」「吉し」に通じ、「吉野」という名称は「ヨウ」をもって語根とし、ギリシャ名称のヨイノスに当たる。
71 うつしくにたま(宇都志国玉)=ウスス・コグニタム:Usus Cognitam (正理よりするに非ず、ただ何等かの実際上の事情よりして統治すること)よりの転訛。ちなみに、正理の統治は Rationis Cognitam ラチオニス・コグニタムという。したがって「うつしくにたまの神となれ」と須佐が大国に言った意味は〝葦原の中つ国の正統ではないが仮の支配者となってお れ〟ということであった。
【定説は、この語の意味が最後まで分からず、とにかく実際の国王となれ、と牽強付会するのみで神話の意味が通らなくなったままである。】
72 建御名方の神が逃げてきた科野(シナノ)の「州羽(スハ)の湖」=イドムのアスハルト(Asphalt )の海即ち「死海」と重なる。「スハ」なる名称は「アスハルト」の中の強い明音たる「スハ」より。シナノはシナイ(Sinai )山を語源とする……「支那」「秦」又同語源とみる。
73 建御名方(タケミナカタ)=「タケ」はラテン語サル sal、「ミナ」はギリシャ語ムネ或はムネで、ギリシャ神話の「サルモネウス」に業績ともども名が重なる。「みなかた」は「宗像(ムナカタ)」に通じ、心 像・記憶を意味する。全体で「健康強壮の記念・忘れかたみ」を表す名称。旧約のヨセフの子マナセに対応している。
74 事代主とヨセフの子エフライムとの関係=「エフライム」という名義はギリシャ語エビラ:「生々、多く生まる」と関連あり。エビオス・エビウスという ギリシャ神話の酒神バツコスの別名(これも「生々」「勃興」の神の象徴)と連らなる。エルサレルの都は初めエブス Ebus と称した。日本にきて「えびす(夷)」となった。大国主が〝大黒〟といわれるのに対し、事代主が〝エビス〟といわれるゆえんである。「えびす」は半面、戦争 の神「カタシロ」(破壊)の面もあり、これが「事代」となり、またカタシロと同一意味のギリシャ語アポルオー(破壊・全滅)からアポローン神の名称が生ま れている。
75 日本書紀にいう「日隅(ひすみ)の宮」=エルサレムの別称「ヒーロ・ソルマ」(Hiero Solyma)の日本語読み。ヒーロは「聖」の意。
76 諏訪神社の縁起及びその地守屋氏の系図中にある「洩矢(もりや)ノ神」及び諏訪湖の西方にある「守屋山」の名称に含まれる『モリヤ』は、エルサレム市の中央部にあるモリヤ山即ち橄欖山の移写である。
77 戯曲「諏訪法性の兜」(すわホッショウのカブト)の正体=エルサレム市の東南アクラの地、「オーマルの殿堂」に〝クベット エス・サクラ〟 Kubbet es-Sakhra―「神聖なる石」がある。この「クベト」が「兜」と転訛し、また「サクラ」はラテン語で「神聖」を意味し、これはギリシャ語で「ホシ オ」、ここから「ホッシオ」=〝法性〟と転訛した。
78 日本書紀の「岐(ふなど)の神」=フナドはラテン語のプグナトー Pugunator:「戦闘者」よりの転訛。事代主の別称。
79 古事記の「御尾前となり」と書記の「嚮導(みちびき)」=同一言語。ギリシャ語で「嚮導」を〝ムーサギテス〟という。簡略にしたムーサギより「みお さき」が転化してできた。現行語の「舳(ミサキ・ヘサキ)」「ミヅサキ案内」の語源。また、ユダヤ人の「モーゼ」なる名称も彼が「ユダヤ人を率いエジプト を脱出した嚮導=ムサギテスの行為よりでたとされる。(水より引き出したる故モーゼと名付くとはユダヤ人が古語を知らざること日本人と同じだった証であ る。)
80 大国主の別称「大穴牟遅」「大汝」=ギリシャ語の〝オイナンヂ〟(Oenantheオーナンヂ):葡萄の新芽、葡萄酒、酒器の意味。酒神にかかわる。
【少名彦名神があるから大名(オオナ)とつけたのか、と定説に説なし。】
81 大国主・大物主=ギリシャ語の〝オイコノモシ〟(economy の語源):家宰、経済家の意より「大国主」。オーモノス:無双唯一の大人物の意味より「大物主」と転訛してきた。
82 『やまと(倭・大和)』=ギリシャ語:ヤマトス…「治療、救済、和睦」の意味…よりの転訛。