宮路岳そして勝浦岳と海へと…龍を放つ |
先日の門司磁場調整…の影響か、門司在住の数人の仲間の方々が夢に出てきました。
磁場調整に行っていない仲間のご主人の意識が出てきて、ちょっぴり衝撃的な映像を見せられ、驚いて目が覚めました。
何となくわかりました。またその方にお会いしてお伝えしようと思います。
門司、彦島の磁場調整と次の磁場調整はセットです。
すっきりしてない人も多いかも…その思いを感じてみてください…
宮路岳そして勝浦岳と海へと…龍を放つ…が次のテーマです。
重要な古墳、神社、史跡を回ります。トラークルのオリジナルセレクトです(笑)
胸が高鳴ります。それまでは、今をじっと感じて…
自分自身やその周辺の磁場調整が大切な時期です。
そして準備も。しっかり意味を理解して行くのが大切…だから。
我が家も今日は家の掃除と磁場調整をしました。
夕方、5時に夕飯の支度をして、それから、早めの夕食をとって(笑)
月曜日の磁場調整の下調べに、津屋崎へ。
小さくて重要な神社が多いのでしっかり確認しておこうと思いました。
行きがけの車の中で、空の美しさに感動!すでに波動が高くなっています。
最初は手光波切不動尊と古墳へ。ここは宗像氏以前の武内氏に関わり深いといわれる古い集落です。
このあたりは、とても古い地のようです。地名もそれを感じさせます。手光(てびか)と言います。
見過ごしてしまいそうな場所にありました。でも、そこがピカっと光っていて、すぐにわかりました。
民家の中にあるので、少し緊張しながら入りました。
雨の影響で、天井から水がしたたり落ちていて…
私はなぜか、すごく嬉しくて、胸が高揚しました。
場所を確認し、2人で磁場調整し、次なる場所へ。
この地の奥にも古い集落や神社を発見しました。大きな神社と違い、なかなか情報として挙がっていないため、実際に足を運ぶことが重要。
手光のその先は、すぐに宮地嶽神社でした。それでなるほど…と納得しました。
昔、このあたりの方はこの波切不動尊にお参りして、それから奥の院である宮地嶽神社にお参りしたそうです。
それがうなずけるほど、近くにありました。ピラミッドのような宮地嶽が見えてきました…
上記の手光波切不動尊古墳については…6月11日のブログに詳しく書いています。
波切不動尊古墳をお参りした直後に…
空には虹の両端がうっすらと見えました…これは素敵なサインです。
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次は、勝浦の酒多神社へ…
こちらは…本当に奴山古墳群の側にあるようです。
前回はその意識で行きませんでしたが、こちらは津屋崎古墳の中でも、最も関わり深い勝浦の地にあるということで…
ここへは、もう何回来ているかな。来るとすごく波動があがるのは…自分自身の前世と関係あるからでしょう。
そばにやはり、乗馬クラブがありました(笑)だから、前回、白馬がいっしょに駆けてくれたんだ…
夕暮れの古墳群はすごく美しい!古代の光景と記憶が蘇るような…
縫殿神社の鳥居が見えています。後ろからまわっていけるかな…ここも後で来てみましょう。
ここも必ず、仲間をつれてきたい。詳しいことは6月7日のブログに書いています…
それで民家の後ろ側のこんもりとした杜の方へ…ものすごく古い若宮神社を発見。
あれれ、酒多神社のつもりだったのに…
それにしても…すごく社格の高そうな神社です。こけのような蒸した匂いがします。
夕方で、蚊が多い時間帯なので、私は早々に車に乗り込みましたが、藤原さんはかなり時間をかけて
磁場調整していました。ものすごく…見た事のないほど立派な大楠があります。
これは見事…でも本当に寂れてしまっていて、仲間でこちらにも来たい…です。
直後に、巨大な龍神雲が。
(パノラマ撮影です)
下記は、若宮神社の大楠、祭神など(福津市)
http://blog.livedoor.jp/keitokuchin/archives/65558182.htmlより抜粋//
聞いたところでは、福津市内の「大楠」のなかで最も大きなもので、太い部分の幹周りは5.51m、樹高は16mを超えているらしい。
枝葉が大きく木傘を広げ、周りの樹木とあわせ境内の杜を「昼なお暗き」状態にしている感じがあった。そして、数百年(確定的なことは不明)の樹齢を経てなお成長を続けているという。
この若宮神社は、宗像大社末社のなかに「山口若宮」とあり、山添地区の産神として保延4年(1138)に創建されたとの説があり、それを信じるとして、もし当時、既にこの楠があったとしたら、要に870年を超えていることになる。
各地の楠には樹齢1000年を超えるものもあるので、幹や樹高から推察して樹齢870年超と考えてもまんざらでもなさそう。
前回、「若宮神社の祭神は、若宮八幡宮と違って、分からないことが多い」と記していたが、もともとネットに次の二つの神名が載っていることは知っていた。
福津市公式HPには「仁徳天皇」、津屋崎郷土史会調査HPには「大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)」と書いてあるが、仁徳天皇と大鷦鷯尊は同一神である。
だが、「ここは若宮神社であり、若宮八幡宮ではない」ので、この祭神名については、俄には信じられず、上記のように、「若宮神社の祭神」は、「分からないことが多い」と記したのだった。
ただ、津屋崎郷土史会調査には、由緒として、「古老によれば、勝浦岳の神を保延9年(1138)勧請、若宮といった。ある書によれば、宗像神の御子神ではないかという。」と記してあり、暗に大鷦鷯尊説を否定しているようにも見受けられる。
つまり、名前は伝わっていない(明治維新前までは伝わっていたかもしれない)が、当地にいた「宗像神の御子神(=若宮大明神)」を産神として祭っていたということなのかもしれない(10/22宮座あり)。
ただ、上記「保延9年(1138)」については、「保延」(年号)は、保延7年(1135〜1141)までしかないので、保延4年(1138)の間違いだと思う。なお、境内社は、菅原神社(菅原神)、福地神社(海津見神ほか)となっている。
前回、「当地から山に入ると円通寺があるらしいが、なぜか行き着かなかった。この円通寺が、勝浦嶽大明神とも係わりのあった惣知院だったのではないかと思うのだか…」と記していたが、後になって、このとき徒歩あと1分のところまで行っておきながら引き返していたことが分かった。
となると山添地区(勝浦嶽の麓)には、若宮大明神(若宮神社)のほかに、もう一社「勝浦嶽大明神」が鎮座していたことになるが、上記「古老によれば」によると、若宮大明神は勝浦岳(嶽)の神(勝浦嶽大明神)と同神、又は勝浦嶽大明神の御子神ということになる。
くりかえしになるが、勝浦嶽大明神を神功皇后とした場合でも、その御子は誉田別尊(応神天皇=八幡神)で、孫の大鷦鷯尊(仁徳天皇=若宮八幡神)にはならない。
勝浦嶽大明神(社祠址)及び惣知院円通寺=想智院圓通寺については、次回記すことにしたい。
引用以上//
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それで上記のブログをみて、昼間に驚いて目が醒めた夢の意味がわかった…上記の圓通寺想智院と旧勝浦嶽神社の地から発するメッセージでもあったのだ…と。その夢は小さな子どもたちが埋葬されている…生々しい夢だった…古墳のある場所ー前回の門司の磁場調整の場所ともリンクしている…
メッセンジャーは…鬼子母神(きしもじん/きしもしん)か…
「訶梨帝母堂」の「訶梨帝母」(かりていも/[Hārītī]、ハーリティー)とは、仏の慈愛により鬼女から子供の守護神となったという物語がある仏教守護の女神夜叉で、一般には鬼子母神(きしもじん/きしもしん)の名で知られる。
忍照さんは、子供たちの保護、救済にも余念がなかったといわれるので、ここに子供の守護神として「訶梨帝母(鬼子母神)」を祀ったとも考えられる。
その後、勝浦嶽の方向に…
ありました…酒多宮です。誘われるように見つけました…
この若宮神社について書かれた方と同じブログから、6月30日に引用しています。
見てみてくださいね…
この方のブログ、実に面白いです。
下記は、http://blog.livedoor.jp/keitokuchin/archives/65562266.htmlより引用
前回、酒多神社は、旧勝浦村練原(現福津市勝浦桂区練原)の産神で、勝浦を本拠とした勝部氏とのかかわりから秦氏と、また、酒の字が付くところから酒造を伝えた古代秦氏と松尾神社との係わりを推測した。
だが、「旧勝浦嶽神社址(9)」に前述した姫氏=紀氏(キシ)とのつながりも視野に入れておかねばならないのではと思っている。
姫氏(紀氏)とは、倭国(九州王朝)の王族「倭の五王」の系譜につながる一族である。
学術的なことは述べられないが、「倭の五王」については、日本書紀にまったく記載されておらず、「倭の五王がヤマト王権の天皇ではない」ことは明らかである。
内倉武久氏によると、この姫氏は、中国呉越時代の、周王朝(姫氏姓)の血統につながる王族「呉王」の姓でもあり、紀元前473年に呉王夫差が日本列島に落ちのびて倭人となる。
後に魏志倭人伝(三国志時代)にその名が出てくる倭国(九州王朝)を建国、この系譜から藤・勝、倭の五王(讃・珍・済・興・武)、哲、満、牛慈、長堤、大野、津萬侶が出ている。
倭国の「倭」の正しい読みは、姫氏(紀氏)の「(キ)イ」「(ゥ)イ」)であり、「倭」を「ワ」と発音するようになったのは6世紀末のことで、「倭」を大和(ヤマト)の「和」(ワ)と同音として、倭国は大和にあったヤマト王権(王朝)だとする考え方は間違っている。(続きは6月30日のブログに)
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この上記の記事がすごく大きなヒントになったんだった…
酒多宮もすごく小さくてひっそりとたたずんでいました。
地元の人でないとなかなか探せないかな…
もう夕暮れをすぎて…8時近くになっていました…
家に帰ると、いろいろなことがまたわかりました。
以前にも引用したブログですが、なお、よく理解できるように。
来週の磁場調整への準備が着々と整ってきています。
大きく、すべてを統合しましょう。
海へと…そしてハートを解放して
すべての還しましょう。
素晴らしい奇跡の旅に繋がります。
引用資料を添えておきます。よくご覧くださいね…
私は個人的に…佐賀に行く必要性を感じています。
夏休みは古代への旅三昧になりそうです…
また明日の茶話会にて詳しく〜♪